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男の友情の賞味期限は30歳【エッセイ】

去年まで今ごろまで、毎週会ってるような男友達がいた。
会って、飲んだりするわけでもなく、たとえば代々木公園に行ったり、新宿御苑に行ったり、真夜中の世田谷を歩いたり、柏に行ってみたり、なぜか流山おおたかの森へ行ったり、
目的地に何かがあるわけでもなく、ただ漫然と集まって近況の報告をし合ったり、あるテーマについて侃侃諤諤の議論を交わしたり、げらげら笑い合ったり、
なんというか、青春っぽいことをしていた。

31歳になった。今ではそういう機会もめっきりなくなり、その代わり孤独を噛み締める時間が増えた。

どうしてそういう機会が減ったのか、理由はまちまちだ。
31歳という年齢は、それなりの社会的地位に立っていたり、でなくとも、結婚をしていたり子どもがいたりする年齢だ。また、体力が下り坂に差し掛かる年齢で、20代まではへっちゃらだったオールが身体に堪えたり、いろいろと無茶ができなくなってくる年頃なのだ。
結果として、そういう遊び方はなかなか億劫になって「すまん、その日は」なんて断る機会が増えていく。

結果として、31歳の男が週イチで同年代の男友達と会ってるなんて言うと、不思議な顔をされることになる。

でも、女の子はちょっと違う。
31歳の女の子は、一般的に女友達と会うための時間をつくって、月に一度くらいは集まっていたりする。

それはとても自然なことで、そういう友達がいないと心配されることもある。

男が週イチで男友達と会ってると不思議な顔されるのに、
女が週イチで女友達と会ってても、それは自然なことなのだ。

今回の話の入り口は、こんなところからはじめてみようと思う。

この男女差は、上野千鶴子のなんかの本によればコミュニケーション能力のちがいなのだという。
高齢者をみるとわかりやすいが、おじいさんほど一人でいることが多く、おばあさんほど友達つくって、蟹を食べに行ったり、熱海に行ったりしてイベントが多い。もちろん社交的なおじいさんもいるけど、圧倒的におばあさんの方が社交的に、友達つくって、なにかいっしょにしたりしている。

この原因はなんだろうか。
それは、「寂しい」と気軽に言えるかどうかの違いだと思う。女の子は、さみしい〜って比較的気軽に言えてて、男は、さみしいってなかなか言えないという違いなのではないだろうか。

そもそもぼくら「男」は、戦闘民族的な教育を受ける。
つまり、受験に勝ったり、いい会社に入ったり、いい会社の中でいいポジションに就いたり、そういうところでアイデンティティが確立されていき、そういうところで勝つことこそが、人生の目的かのように刷り込まれている。

そうすると、まわりは敵になる。
だって、本質的には、まわりの男という存在はじぶんの利益を損ねる存在なのだから。
いい獲物にありつくためには、そのハンターを蹴落とさなければならないのだ。そういう教育を部活や受験を通して刷り込まれているのである。結果として、ぼくら男は、そういう考え方がしみこんでいるのだと思う。

そして、ぼくの見解では、「男」という性は、つくられた性である。おちんちんが生えているから男という生物学的な性の話ではなく、社会的な性が社会で生きやすい規格としてつくられるのだ。
資本主義社会で生きるのに有利な規格は、上記のような男性という性なのだ。だから、その教育を真面目に接種した人ほど、この考え方は深層心理に刷り込まれる。
そのため、見た目が女性であっても、そういう教育を受けていれば、やっぱり男性のように育つ。そのため、今後はそういう考え方をする女性も増えてくるような気がしている。

男性はだれかに「寂しい」と気軽に言えない
(これは男性性の教育を強く影響を受けた女性も同じだと思うが)

ぼくは、この問題について、もっと積極的に社会が議論していくべきなんじゃないかと思っている。


ああ、寂しい。
おれさ〜今日さぁ、なんか寂しいんだよね。
いたたまれない夜ってあるじゃん?
あれなんだよね。
いやぁ、なんかさぁ、寂しいんだよ。
こう、孤独を突きつけられてる感じがすんだよ。
そういう夜なんだよね。
こんな夜には、きみはなにする?
おれはこうやって寂しいって誰かに伝えて、誰かが寂しいってキャッチしてくれてるだけで気分が和らぐんだよねぇ。
ごめん、どうでもいいよな。


届かぬ言葉は、東京の虚空をさまよう。
太宰治が言うには、「本を読まないということは、そのひとは孤独ではないという証拠である」らしい。言い得て妙である。

最近ぼくは、やたらと小説を読んでいる。
小説の世界にドボンと入って、孤独を紛らわせている。
でも、紛らせているだけで、やっぱり寂しんだよなぁ

男にだって、涙で枕を濡らす夜がある。
でも、そんな孤独はだれも気づいてはくれない。
だって、「寂しい」なんて口が裂けても言えないのだから。

そういえば、
メタ社のCEOマーク・ザッカーバーグの名言が、Twitterに出回っていた。
その中の最後の一文が妙に印象に残っている。

30歳になったら、お金・健康・家族につながる人を選びなさい

すごく正しいことを言っているように思えた。
限りある時間は有効活用しなければならないし、現代を上手に生きる上での最適解だ。

でもぼくは、そのどれにもつながらない。
だからかぁなんて腹落ちした。
寂しいなぁ。でも、そうだよなぁ。


人はぼくから卒業する。
ぬるま湯にいつまでも居続けらんないって、
焦った上昇志向が駆けていく。

おもえば、人生。
そういう背中を何度も見続けてきた気がする。

そんな彼らに、言いたい。
立ち止まらないでください」

あぁ、寂寥感。

さいごに

ここまで読んでくれてありがとうございます。
もし、この話を読んで面白いと思ってくれた人に
一個だけ頼みがあります。

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