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東京にまつわる或る物語1

イマカラ、ボクガ云ウコレㇵ予言ナンダヨ。
202X年。人類ノ脳味噌ㇵクリーン二ナッタ。
ヒトㇵヒトデアルヨリ、複合シネンノヨウナ存在二ナリタガッタ。
インテルネットㇵソレヲハヤメタ。人類ㇵ夢中ニナッタ。バーチャルワールド二夢中二ナッタ。
ヒトビトㇵ意志ヲヒトツ二統合シタ。
ソシテ……人類ㇵ邂逅シタ、トアル存在二ネ。

アハハ……真実ㇵタノシイネ。
モウ、戻レナイ。世界ㇵイツダッテ不可逆ダッタロ。
覆水盆二返ラズダネ。

コレカラ語ルコトㇵ異変ノ始マリ。世界ㇵグラデーションデㇵカワラナイヨ。ユデガエル理論ジャナイ。狂気ガファンファーレヲ鳴ラスンダ。
日常ㇵイツダッテ、グラデーションジャカワラナイ。
イキナリダヨ。ナリユキモ過程モナク、突然発火──破裂。




















01:麻布台地に
まつまるガマガエルの話

麻布十番










 「麻布十番周辺に大量出現した、このガマガエルの正体は一体なんなのでしょうか。ゲストに、専門家の叡王義塾大学環境情報学部の田辺教授をお招きしています。田辺教授、さっそく伺います」

 テレビの画面には、女性キャスターが真剣な眼差しをとなりに座る大学教授に向けている。大学名と名前のテロップが入り、田辺教授は淡々とした口調で件のガマガエル騒動を解説し始めた。

 「はい。まず、今回麻布十番付近で確認されているガマガエルは、外見的特徴からアズマヒキガエルである可能性が高いと考えられます」

 スーツをびっしりと着ているので、大学教授というよりはどこかの会社の上役に見える。視線はまっすぐとカメラを向きながら、落ち着いた雰囲気で説明を続ける。

 「アズマヒキガエルは本来、関東地方に生息する在来種なのですが、都心部ではほとんど見られなくなっていました。それが今回、このように大量に出現したのは非常に珍しい現象で、正直なところ、私たち研究者にとっても予想外の事態です」

 画面が切り替わり、麻布十番の街頭で撮影された映像が流れる。歩道や店先に、こぶし大ほどの大きさのガマガエルが数十匹も群がっている様子が映し出された。人々が携帯電話で写真を撮ったり、子どもたちが興味津々で覗き込んだりする姿も見える。

 「このような現象について、現時点では明確な原因を特定することは困難です。ただ、いくつかの可能性は考えられます」

 教授は言葉を区切りながら続けた。

 「例えば、気候変動の影響かもしれません。温暖化による気温の変化が、彼らの活動に何らかの影響を与えている可能性があります。また、都市開発による影響も考えられます。麻布十番周辺での再開発工事が、潜んでいた個体群の移動を促した可能性もあります。しかし、これらはあくまでも仮説の段階です」

 キャスターの女が真剣な表情で頷きながら、次の質問を投げかける。

 「では、このガマガエルたちは人体に害を及ぼす可能性はありますか?」
 

「基本的に、人間から近づかない限り危険性は低いと考えられます。ただし、ガマガエルの皮膚からは毒性のある分泌物が出る可能性があるため、特に小さなお子様やペットには注意が必要です。不用意に触らないことをおすすめします。そして万が一触れてしまった場合には、しっかりと手洗いをしましょう。絶対にカエルに触れたままで目など粘膜に触れると炎症を起こす可能性があります。ただ、このような都市部での大量出現の原因解明には、もう少し時間が必要かもしれません」

 教授はできるだけ簡潔に答えた。その表情からは、自然界の予測不可能性に対する研究者として謙虚さのようなものが伺い知れる。

 思い返せば、一連の奇妙な異変はここから始まった。カエルが大量発生するくらいのエラーだって起こることくらいあるだろう。世界にはそれくらいの不思議だって残っているはずだ。このころはこの国の誰もが鷹揚にかまえていた。このことは、ペイジにとっても、例外ではない。後になって振り返れば、この小さな異常は、私たちの世界を根底から覆すアレの初期微動にすぎなかった。

 初めてそれを目撃して悲鳴をあげたのは、パティオ十番のベンチに腰掛けていた老婦人だった。金属製の重たい物体が落下して、コンクリートにぶつかる鈍い音が響く。マンホールの蓋が勢いよく噴射する。開いた穴から黒い塊が吹き出してきた。どす黒い影が揺曳しているように見える。凝視していると、一匹一匹が蝿だということに勘のいい人が気がつく。いくつか悲鳴が広がる。悲鳴の数が増える。

 いつの日にか、水族館で見た大量のイワシみたいに黒い蟲がうようよと漂っている。蝿は人々を容赦なく襲った。蝿は、目やら口の中めがけて、容赦なく飛びかかってくるのだった。悲鳴は金切り声に変わって、麻布十番にはすっかり日常はなくなった。

 マンホールの真っ黒な暗渠から、大量の白目が出現する。ガマガエルだった。大量のガマガエル。大小さまざまな見たこともない大きさのガマガエルからよく知るサイズのガマガエルまで、凝り固まった粉瘤が絞り出されるように、吹き出される。ペタペタという音を立てて、ゲロゲロという鳴き声をあげながら、麻布十番の街全体にガマガエルの大行進は広がっていく。街は一瞬にして、狂気を帯びていった。



 嵯峨頁(ペイジ)の家は、暗闇坂の上に構えるマンションに彼の住む一室だった。テレビの画面の映像は駅前なので、そこまで坂を2つほど降ればすぐ着くことができる。

 生まれも育ちもこの麻布台地。この街の隆起や起伏の中で17年間を過ごしてきた。旅行などの例外を除き、麻布台地から離れることなく生活している。小学校は近所のインタースクールに通い、中学受験を経て近所の中高一貫の男子校に通う。

 両親は、父が運営する株式会社のふたりして役員をしている。だからか、家は家庭というよりはふたりの職場の延長であり、父というよりはCEOであり、母というよりはCHROであり、食事中の会話もほとんどが数字にかかわる話題と社員の育成にかかわる話題が共有された。

 ときどき、ペイジはそういう話を人に話すと同情をされることがあった。生まれた時からそういうものであったため、ペイジにとってあたりまえのことだった。だからいつも「そんなことないよ」と訂正していた。

 そんな環境で両親の気を引くためには、ペイジにできる数字の話をするしかなかった。ペイジにできる数字の話は受験であり、偏差値だった。だから、必死に勉強して同年代の中では盤石な人生をつくったはずだった。

 本当はこのまま東大に行くつもりだった。だが、考えが甘かった。その自信が継続するのも中学を卒業するまでだった。高校に入ると、中堅大学さえ怪しい学力にだんだん衰えていったのだ。高2で受けた模試は惨憺たる結果で、ペイジはそんな忸怩たる思いの最中にいた。

 明日はペイジにとって進級がかかった大切な試験日だ。

 なのにもかかわらず、テスト勉強はまったく集中できない。カエルを言い訳にしているが、それだけが理由じゃないことは、明白だった。勉強の仕方がさっぱりわからない。なにがわからないかがわからない。だったら、勉強してもしなくても同じではないか。ペイジは呑気に頭の中で連想している。テレビの中の奇妙なことになっていても、液晶画面を通すとどういうわけか現実という感覚がしないのである。

 テレビの中には変わり果てた日常があるはずなのに、どういうわけか、メディアというパッケージに包まれるとそれは現実はなく、テレビの中の出来事だと思ってしまうものである。

 マンホールの穴から大量の蝿と蛙が吹き出したニュースは、テレビ局が駆けつけ直ぐ様カメラの向こうの惨劇を伝えた。大量の蝿は、ガマガエルの長い舌の中に吸い込まれていき、うようよとガマガエルの舌によって、蝿たち一匹一匹が処理されている。ペイジはぼうとしながら、そんな画面を見つめている。日常が融けた狂気が画面の向こうにあっても、じぶんの偏差値の低さが変わるわけでもない。そんな風に放心する余裕があったかもしれない。

 テレビの画面には「生中継」という文字が映し出されて、麻布十番の狂気の模様を伝えていた。これまでとは種類のちがう雄叫びのような悲鳴が聞こえ始める。カメラはそちらに視点を向ける。カメラワークは取り乱さる。揺れる液晶の中の映像。カメラマンが腰を抜かしたのだ。だが、カメラは一瞬を捉えていた。異形が映った。常識では計り知れない大きさのガマガエルが、穴から顔を覗かせる。

 それは推定170センチの人間と同じくらいの大きな大きなガマガエルだった。たしかに現実に映った。実体というのは、どんなフィクションよりもどんな言葉よりも雄弁に伝える。

 ペイジは画面に食らいつく。職務を思い出したカメラマンが、その異形を捉えた。大きさ以外ら、誰もがよく知るガマガエルだったし、動きはガマガエルの動きそのものだった。ただ舌を伸ばし、蝿を数百匹捕食している。そのとなりには、スーツ姿のサラリーマン。

 手にはコーヒーショップで買ったらしい紙のカップが握られている。見慣れぬ異形のガマガエルを見つめながら、恐怖に慄き硬直し一歩も動けない。

 現場のアナウンサーが、震える声で「ご、ご覧の通り、人間と同じ大きさのガマガエルが出現しています。これは、これは一体……」と一生懸命に言葉を発した。腰を抜かしたカメラマンと違って、この現場のアナウンサーは根性が座っている。そのサラリーマンと巨大ガマガエルのツーショットが、麻布十番に発生した異常事態を一瞬で理解させた。そのカメラが捉えたツーショットは、異常の始まりを告げる象徴的な写真として、さまざまなメディアを通して世界に広がった。

 だが、経済の世界は「たかだか巨大蛙」と軽視した。巨大地震や巨大津波が襲ったって、すぐに立て直すのが経済の世界である。それと比べれば、人体に危害を加えるわけではない大きなカエルが都心の高級住宅街に出現するくらいじゃ、それほどの大きな影響がないと考えるのが妥当な帰結であるだろう。



 ──翌日。

 嵯峨家ではいつもと変わらぬ一日が始まった。あれだけ巨大なガマガエルが出現しようとかまうことなく、株価の話から食卓は始まった。父にも母にも動揺の様子は見られなかった。近所であれだけの変化があってのに、父と母はいつもと変わらない。この鉄筋コンクリートの中は頑丈であると信じていたし、大きな蛙ならば避ければいい。なにも命が奪われるわけじゃない。父は、帰り道に幾多もの蛙の死骸を踏み分けながら帰宅し、母は道に広がる蛙たちにかまわずポルシェで前進して帰路についたらしい。

 家路につくまではたしかに怖かったが、オートロックが施錠した先に迎えるわが家は、いつもと変わらぬ姿だったことに安堵して、両親は日常を継続した。

 もちろん、17歳のペイジにとって人間のような大きさの蛙がマンホールから飛び出すことは、常識ではなかった。両親にとってもそれは同じだ。だが、両親もそれが異常事態であることに理解を示したうえで、それらが彼らの生活を脅かすことのないものであると判断してしまえば、新しく始まった怪奇にいちいち反応を示すことはしなかったというだけの話であり、それよりも彼らの目の前には、大切なことがあるのだった。

 その大切なものが身の安全を保証し、それをより堅固にするのだから、経済活動はやめるべきではないという合理的な根拠にしたがって、両親もそれにしたがっているのだった。

 朝食の席で父はスマートフォンを片手にスクロールしていた。

 「日経平均が400円下がっているな」父はオートミールを口に放り込みながら呟く。

 「あら、そう」母は興味なさそうに紅茶を啜る。


 「でも短期的な変動はあまり気にしないことね。たかだか蛙よ」

 「ああ、そうだな。ところで、昨日の帰り道はどうだった?」

 「ええ、いつもより20分ほど遅くなったわ。あの蛙たちのせいで渋滞が……」母は眉をひそめる。「車が汚れてしまって、今日は洗車に出さないといけない」

 父は時計を確認すると立ち上がった。「いけない。もう行かないと。9時からボードミーティングだ」
 
 「あのカエル、近所だったよね……?」我慢できずに、ペイジはおそるおそる言葉をひねり出す。忙しい時の両親に挟むなんて滅多にないことだったから、一瞬両親が困惑の表情を見せたが、日常をつくったのは父だった。

 「ああ、たしかに近所だったけど、住んでいるこことは関係がない」という父の言葉に、すぐさま同意したのは母だった。「そうね、ペイジも駅前には近づかないようにしなさい」とだけ告げる。父はネクタイを締めていた、母は化粧をしていた。身の安全は保証されれば、異常気象についてあれこれと家庭で話し合ったって仕方がないという考えのもとで、もう嵯峨家には日常が戻っている。

 不安で押しつぶされそうだったペイジは、両親の説得によって、新たな別種の不安を妊むことになった。

 こうしてマンションの一室にペイジは取り残される。いつもの食卓のいつもの光景だった。こんな風に、毎朝忙しないのがペイジの家庭の特徴だ。だが、それは各々が忙しいという前提に成り立っているので、家庭内でそれを咎める者はいない。

 母も父やペイジが忙しいことを当たり前だと思っているように、母も父やペイジが忙しいことを当然に感じていた。こうして書くと冷たい家庭のように感じるかもしれないが、月に一度、家族会議の時間を必ず設けているので、そこで家族の時間をつくればいいいという父の家族運営方法にペイジは概ね賛成していた。だが、この時ばかりはペイジは我慢することはできなかった。誰かに巨大カエルの異常さについて話がしたい。そうでもしないとやりきれない思いだったのだ。

 両親はもう行ってしまった。ぽつりと食卓に残されたペイジは、ため息をつく。ポケットに入れていたスマートフォンが振動する。液晶を傾けると、学校からの「休校の知らせ」とあり安堵した。こんなときにも成績のことを考えいるものである。

 SNSを見たって、巨大蛙の出現に危険信号をあげているのは、どれも極端な思想に偏った人たちに見えたし、いつもペイジが意見を参考にしている言論人もそんなに異常事態と考えているようには思えなかった。やはり「たかだか蛙」なのだ。何が怖かったのか考えてみたら、巨大蛙という未知なる生物が近所にいることじゃない。それよりも、そんな未知なる生物の出現よりもいつもと変わらない両親に対して怖かったのかもしれないが、ペイジはこれ以上考えるのをやめた。

 この休校の告知はペイジにとって、ある種の救いともいえる報せだった。もしも、この日学校に行っていたら自分はきっとテストを受けていただろう。テストの結果は当然惨憺たるもので、進級さえも困難になるだろう。そんな結果を両親に伝えずに済んだという安堵がこみ上げたのだった。

 だが、束の間。これはなんの安堵なのだろうとペイジは考える。なんでもないこと知った。巨大な蛙が東京に突然現れる。そんな異常事態に比べたら、なんでもないのかもしれない。異常だと感じているのは、ひょっとすると自分だけなのかもしれない。

 ペイジは顔を上げた。こんなことはしていられない。蛙を見に行こう、そう決めたのだった。パティオへ行こう。ペイジはパーカーを羽織って、デザイナーズの低層階の一室から外へ飛び出す。オートロックが解錠した。

(続く)

 


















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