趣味難民に捧ぐ、かっけー趣味【エッセイ】
趣味というのは、その人の人間性が出る、重要な要素である。
好きなものを好きだと言えればいいのだけど、
なかなかそうともいかないもので、見栄やら羞恥心のおかげで人には言えなかったり、TPOがそれを言うことを拒んだり、
趣味というのは、なかなか難しいものだ。
軽はずみに「◯◯が好きです!」
なんて言ったら、いわゆるオタクと呼ばれる人から「あれ知ってる?」「ふ〜ん、じゃあ、あれは?」みたいなセンター試験が勝手に始まり、その点数次第では、
「なんだ、好きじゃないんだ」みたいな矢が飛んでくるリスクだってある。だからぼくらは迂闊に趣味を口に出せない。
特に、迂闊に口にしてはいけないのは、ファッションとラーメンである。
ファッションが好きなんです、と言おうものなら、ファオタの厳しいジャッジが始まったり、
ラーメンが好きなんです、と言おうものなら、
乳化と非乳化のちがいの理解を求められるなど、さんざんなマウントに晒される。
ぜんこくのファオタとラーメンオタは、これを読んだらそのマウントをちょっと待ってあげていただきたい。
とはいえ、◯◯が趣味だとかっこいいと思える趣味というのがある。
モテる趣味というやつだ。
たとえば、ワインだ。
ああ、この味はフランスのどこどこ産のうんたらかんたらで、ちょっと酸味がどうたらこうたら。
あるいは、コーヒー。
ふむふむ、酸味がちょっぴり強いね。ケニアのどこどこ産のうんたらって豆だね。
こんな、うんちくが語れることだ。
味がわかる男というか、「美味しんぼ」みたいか世界線の話である。
ただ、こういう趣味はぼくには向いていないみたいで、どうしたって味音痴とバカ舌が勝ってしまう。
ゲイシャ村コーヒーを嗜んだ直後に飲んだドトールのコーヒーに「美味い!」なんて喉を鳴らしてしまう始末だ。
サーフィンが趣味というのもかっこいい。
藤沢あたりに住みながら、午前中はサーフィンして午後から出社みたいな、メガベンチャーの社員みたいな人生に憧れたりする。
ただ、生粋の運動音痴なぼくにそんなものが楽しめるわけもなく、
フットサルやらダーツやら、かっこいいとされてる趣味にことごとく相手されないわけである。
じゃあ、ぼくにも楽しめる趣味ってなんだろう。
自己紹介で、ちょっと小噺に花咲かせられて、嫌味な感じもせず、あわよくば「山門さんかっこいい♡」なんて思ってもらえる趣味はないものだろうか。
ずっと、そんなことを考え続けてきたぼくにとって、「ひょっとしてこれは……!!」なんて、可能性に満ち溢れた趣味ができた(かもしれない)。
それは、
「単館映画館に月一で通ってるんです」である。
渋谷にユーロスペースというちいさな映画館がある。
ここでは、マイナー映画が上映されていて、ふだんのじぶんだったら決して選ばぬようなラインナップなのだ。
ぼくは、この映画館で毎月一本映画をみると決めて観に行っている。
7月は、「アイアム・ア・コメディアン」
8月は、「めくらやなぎと眠る女」
9月は、「箱男」
とタイトルだけ聞いても、ぽかんとされてしまうような映画を観に行っている。
「アイ・アムコメディアン」は、ウーマンラッシュアワーというお笑いコンビの村本大輔が、日本を旅立ちアメリカのスタンダップコメディに挑戦するという一部始終を密着したドキュメンタリー映画である。
「めくらやなぎと眠る女」は、村上春樹原作のアニメである。複数の村上春樹作品を一つにまとめたみたいな作品で、独特なアニメタッチと村上ワールドにドボンと惹き込まれる装置となっている。
「箱男」は、安部公房原作の映画で、多様な解釈の余地を残した文学的でありながら、映画としてもたのしめるつくりになっている。ネット社会の相互監視を予言しながら、そこに生まれるアイデンティティみたいなことをテーマにしている、難解だが何度も見返したくなるような内容だ。
そんなわけで、ユーロスペースで映画を観るという趣味は、話題が華やぎそうでありながら、なんかかっこいい(感じがする)し、なにより映画を月に一本みるという人生は充実してる(気がする)のである。
そして、映画が始まる直前の予告を観るのも大切だ。来月に観る映画をここで決めるのだ。
おっきな映画館では上映されることはなく、Netflixでも(おそらく)流れない映画を堪能しているというのは、なんという贅沢か!
こういうマイナー映画を観た人だけの間で交わされるひそひそ話なんかも楽しい。
1か月のうち、2時間くらいスマホを忘れて暗室で物語を観る時間。
映画館はまっくらなので、物語に没頭しないと退屈で、なかば強制的に注意散漫な状態を矯正できるのだ。
最後に、これらの映画を楽しむコツをシェアしておく。
それは映画を受動的にではなく、能動的に楽しむことだ。
メジャーな映画というのは、監督が優秀であるが故に、ここが感動するところですよとかここがいいシーンですよとわかりやすく示してくれる。
だが、こういう映画の場合はじぶんで楽しむポイントを探さないと本当に退屈なままなのだ。
漫然と上映されてるものを眺めてるだけでは、素通りしてしまうのだから、楽しもうという意識をもって、どこが面白いのかな、と能動的に映画に臨む。
こういうマインドが養えると、日常にもすこしだけそういう視点が芽生えて、なんでもない出来事にもたのしめるこころの余裕が生まれるのだ。