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9月9日(1992年) 記念すべきプロ初勝利は広島で
1992年9月9日(水)、浦和レッズは広島県総合グラウンドに乗り込んで、サンフレッチェ広島とJリーグヤマザキナビスコカップ予選リーグ第2節を行い、3-2で勝利した。4日前の開幕戦ではホームで勝利を飾れなかったが、公式戦2試合目でプロ初勝利を挙げた。
僕はこの試合に行っていない。
調べると広島県総合グラウンドというのは、翌年から「広島スタジアム」としてサンフレッチェのホームスタジアムになった陸上競技場含む、総合運動施設で野球場やラグビー場、補助陸上競技場などもある広い場所だった。かつての広島空港(のちの広島西飛行場)のすぐ横にあるグラウンドだった。
試合は拮抗した展開で、前半、福田正博が先制するも後半追い付かれ、エドウィン・ウエハラのゴールでレッズが勝ち越すが、その後オウンゴールで再び追い付かれた。
2-2で迎えた後半終了間際、広島CKからヘディングシュートを打たれ、ゴールを割られたかに見えた。現地にいたクラブスタッフの佐藤仁司さんは、「あ、2対3…」と思ったらしい。
しかしボールが完全にラインを越える前にGKの土田尚史が、かき出すようにしてセーブ。ビッグプレーを見せた。
その後、延長に入って14分、柱谷幸一がVゴールを挙げ、3-2で浦和レッズ初勝利となった。
歴史的な初勝利を自分が現場で見ていないのは悔やまれる限りだが、歴史としては大事な記録である。
この日は重陽の節句。レッズにとってたしかにめでたい日になった。
さて、みなさんは1992年9月9日、何をして何を感じていましたか?
てか、僕は試合に行かなかったのだから浦和にいたわけだな。何をしていたか、記録は残っていないが会社で真面目に働いていたはずだ。
インターネットは普及していないし、携帯電話もほとんどの人が持っていない時代。こちらから結果を知るすべはなく、試合が終わって佐藤さんからの「勝ちました」という電話を受けたのだから、まだ会社にいたんだろう。
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