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12月1日(2007年) 千載一遇のチャンスだったが…、次はいつだ
2007年12月1日(土)、浦和レッズは日産スタジアムに乗り込んで、横浜FCとJ1リーグ第34節(最終節)を行い、0-1で敗れた。ACLに初出場し、Jリーグ勢として初めての優勝を果たしたシーズン。リーグ戦とのダブル優勝、しかもリーグ戦は前年に続き2連覇というダブル×2の偉業を達成する絶好のチャンスだったが、この最終節の敗戦で鹿島アントラーズにJリーグのシャーレを持って行かれた。
この年は、リーグ第21節で首位に浮上すると、そのまま終盤までトップに居続けたのみならず徐々に下との水をあけていった。
11月7日・14日のACL決勝を前にしたリーグ第30節現在では残り4試合で2位のガンバ大阪に勝ち点7差をつけていたのだから、カウントダウン状態だったと言っていい。
ACL決勝前後はドローが続いたが、勝ち点1ずつ積み上げて行っても優勝は堅いと思われた。だが、いつのまにか鹿島が連勝を続け、第32節が終わると2位は鹿島に替わっており、勝ち点差は4だった。
ヤマだったのは33節がその鹿島との直接対決だったことだ。レッズは勝てば優勝。引き分けでも3位・G大阪の結果次第で優勝が決まるという状況だったが、鹿島に敗れた。10人になった相手を攻めきれず、66分に先制されると、そのまま守り切られた。終わってみればG大阪が引き分けており、1点取ってドローなら優勝だった。
まだ首位はレッズ。最終節で勝てばいい。鹿島との勝ち点差は1に縮まったので、引き分けも許されないが、相手の横浜FCはこれまで3勝しかしておらず、J1最下位での降格が決まっていた。決してナめていたわけではないが、普通にやれば勝てるはずだ、と思っていた。
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レッズサポーターは、赤白黒3枚のデカ旗を横浜まで持ち込んだ。日産スタジアムならゴール裏でも3枚は出せるが、少しでもホームの雰囲気に近づけたいと、横浜FCのクラブに許可を得て、選手入場時にバックスタンドで広げた。横浜サポーターからは非難の声も上がったらしいが、数の差にあきらめる人もいたようだ。この日、日産スタジアムは46,697人の入りだったが、赤いエリアは半分どころではなかった。
阿部勇樹は言う。
「あと1つ勝つ、というところができなかったですね。ACLのタイトルを獲ったことで、メンタル的なものもあって、疲労がよけい出たというのは、もしかしたらあったのかなとは思います。それまで戦っていた時とは違うな、というのは思っていました」(11月12日・引退試合のMDPから)
正直、それまで見ていて気づかなかったが、ACLを決勝まで戦ってきた選手たちの疲労はピークに達していたようで、しかもアジア制覇の達成感は疲労感も呼び込んでいたのだろう。
横浜FC戦のレッズは間違いなくどこかおかしかった。ボールは保持しても、フィニッシュにかかるところでキレがなく、ゴールが取れなかった。田中マルクス闘莉王が出場停止というマイナス要素も大きかった。
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17分に失点。阿部が横浜の三浦知良に1対1で抜かれるという、カズ選手には失礼な言い方だが、僕には信じられない場面からだった。
鹿島が1-0で勝っているという情報が入った後半は、攻撃のギアを一段も二段も上げ、多くのシュートを放ったが決まらず、72分にはロブソン・ポンテが負傷交代した。
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悔しいという言葉では足りない、終了の笛の音だった。
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あれほど力が抜けてアウェイから帰ったのは初めてだった。
その後、日本では2008年にG大阪が、2018年に鹿島がACL優勝を果たしているが、G大阪は8位、鹿島は3位(首位とは勝ち点13差)だった。それを思えば、2007年のレッズはACLとJリーグの二冠に最も近づいたわけだ。
次にそんな機会が来るだろうか。
いや、絶対に日本で最初のA&Jはレッズが獲りたい。
さて、みなさんは2007年12月1日、何をして何を感じていましたか?
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。