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清尾淳のレッズ話#313 最後のA3・前半~抗日運動発祥の地へ /罰ゲームじゃない

 A3が創設された2003年当時は、ワールドカップ2002が終わった直後で、クラブベースでもアジアの「三強」が切磋琢磨していこうという趣旨だったと思う。ただ、そのころにACLもできたわけで、A3出場の4クラブのうちリーグ優勝の3クラブは、すべて同じ年のACLにも出場している。同グループになる可能性は小さくない。当初のA3は2月に行われたから、ある意味でACLの前哨戦という位置づけにもなった。 ただし、ACLで絶対に勝とうという気概があるなら。そうでない場合は対戦相手の新鮮味に欠けるし、勝った場合の賞金額も高くはなく、優勝してもさらに上部大会があるわけでもない。 そんなことで「Jリーグ優勝の罰ゲーム」と揶揄され始めたのかもしれない。レッズがJリーグ初優勝する前の、優勝クラブの感覚というのは、僕の知らない世界だ。

 僕が初めてA3をテレビで見たのは、日本で開催された第1回大会。2003年だった。自国開催なので2クラブが出場したのだが、2002年Jリーグ優勝の磐田と、もう一つはJリーグ2位のクラブではなく、2002年のJリーグカップ優勝の鹿島だった。中国と韓国はリーグ2位クラブが自国開催枠で出場していたが、日本はJリーグカップ優勝クラブが参加した。 当時の開催時期は2月で、国立でやっていてテレビ中継もされたから、それを見ていて「去年自分らがあのナビスコカップで優勝していれば、この大会に出ていたんだな」と思いすごくうらやましかった。当時はアジアクラブ選手権がACLに移行して行ったころで、ACL自体をあまり知らなかったから、自分らはアジアに出て行く絶好の機会を逃したんだ、と悔しかった。だから罰ゲームなんて思うはずがない。

 今でもA3は「罰ゲーム」などではなく、選手の経験値を高める良い機会だったと思っている。


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