1月23日(2000年) 日本サッカーを代表してアヤックスと試合した J2だけど
2000年1月23日。浦和レッズはオランダのアムステルダムに行き、アヤックスと親善試合を行った。日蘭交流400年記念事業の一環だった。
「いとむざん、くにを閉ざした家光さん」で有名な(最近はそうやって覚えないのか?)鎖国の完全成立が1639年。つまり、その前からヨーロッパ各国との交流はあったわけで、オランダが一番古いわけではないが、ポルトガルやスペインなど、カトリック系の国は日本にキリスト教を持ち込むからNGで、オランダはプロテスタント系だから日本での布教はしない。だから貿易は認められ、江戸時代も途切れることなく、交流は続いていた。
何でも最初にオランダの貿易船が日本に入ったのが(漂着に近かったらしいが)1600年で、だから2000年が日本とオランダの交流400年記念の年なのだ。
いろいろな分野で交流400年事業が行われた。サッカーにおいてもしかり。
だがアヤックス・アムステルダムはわかるが、なんで日本のチームとして選ばれたのが、ヴェルディ川崎でも鹿島アントラーズでもジュビロ磐田でもなく、浦和レッズだったのか、詳しい経緯は知らない。
日本の海外貿易と言えば、岩崎弥太郎。だから三菱、だからレッズなのか。
当時、一番日本で人気があったからレッズなのか。ちなみに1998年と1999年のホームゲーム入場者はレッズが最多だ。
とにかく、この2000年1月23日に、アヤックス-レッズ戦が行われることは、1999年の早い時期に決まっていたはずだ。日本サッカー協会も外務省も、レッズが2000年にJ2にいるとは予想していなかっただろう。1999年、レッズのJ1残留を祈っていたのは、レッズサポーターだけではなかったかもしれない。
予定どおり試合は行われた。
浦和レッズ後援会は応援ツアーを企画し、かなりのファン・サポーターが参加したはずだ。僕もそのツアーに入れてもらった。オランダに行くのは初めてだった。
寒かった。本当に寒かった。
アムステルダム・アレナ(現在はヨハン・クライフ・アレナ)は、当時の日本のどのスタジアムより素晴らしかった。立地は昔の埼スタと似ていたが。
レッズは頑張った。先制して1-1のドローだった。
覚えているのはこれくらいか。
試合以外では、ウィスキーのソーダ割りよりビールの方がだいぶ安かったこと。夜中でもATMが開いていてクレジットカードで現金を引き出せたけど、そこで寝ている人がいて怖かったこと。街中に小さなロッカー方式の自販機があって、そこで買ったコロッケが美味しかったこと(特にヌードルが中に入っているヤツ)。オランダ人はほとんど英語を普通に話し、しかもイギリス人の英語より日本人が聞いてわかりやすかったこと。
試合より多いな(笑)。
この上ない名誉な試合だったのに、J2でごめん。次はきっとJリーグチャンピオンとして行くから。
いつだ?
500年記念?
いや、424年記念。ねーだろ。
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