清尾淳のレッズ話#238~2002年② 10年経って見つめ直した自分
当時のJ1クラブは16。
「7位以上」というのは、つまり真ん中より上にはいたい、ということだ。
目標として史上最低だった。
だが3年目に果実を得るには、土を耕すところから始めなければならない、と言われれば説得力はあった。それはまず、自分たちがまだ苗の段階なんだと認めることで、屈辱的でもあったが、1993年~1994年の屈辱や、J2降格の屈辱、J2「でさえ」2位がやっとだった屈辱。それに比べれば、一時の我慢だ、と思い直した。
賽の河原はもうゴメンだ、と。
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