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2月1日(1995年) 指宿キャンプの始まり

 1995年2月1日(水)、浦和レッズは鹿児島県の指宿市でトレーニングキャンプを開始した。
 その後、レッズが長くキャンプ地として使用する、そして日本代表や他のクラブもキャンプを行うことになる、指宿市の指宿いわさきホテルで、初めて本格的なサッカーキャンプが行われたのが、この日だった。

 指宿いわさきホテルは、その敷地内に天然芝のサッカー場2面を備えているリゾートホテルで、この年からサッカーキャンプを積極的に誘致するようになったらしい。

写真は2007年のキャンプ(トップ写真も)

 今では考えられないが、当時はメディアの同宿がOKだった。OKどころか、積極的にクラブがメディアの宿泊を斡旋したようなところもあった。「レッズの取材で」と言えば、1泊2食付き数千円という料金で泊まることができたのだ。

 夕食ぐらい外ですればいいじゃないかと思われるかもしれないが、このホテルの近辺に食べられるところはほとんどないから2食付きはありがたかった。当時の埼玉新聞社の出張旅費規定の範囲だったので、僕もそれで泊まったのだが、リゾートホテルだから朝も夜も豪華な食事で、もしかして太ってしまったかもしれない。

 それはともかく、レッズはこの年初めての外国人監督、ホルガー・オジェックを指揮官に迎え、それまでの万年最下位から脱却を図ろうという時期だった。それまでは海外でキャンプを行っていたので、同行しなかった僕も行くことができた。だから僕にとってのレッズのキャンプ取材元年であり、29年間、毎年キャンプ取材に行くスタートの日だった。

 昔はもちろんYouTubeのリポートもなく、まだ「さいしんコラム」も書かせてもらっていないし、オフィシャルサイトに何かを書くこともなかった。だって、まだオフィシャルサイトもなかったから。埼玉新聞に毎日記事を送ることもんかった。
 そしてカメラはデジタルではないので、撮影したフィルムは全部キャンプ終了までストックしていて、今のように練習が終わったらパソコンで写真の整理をすることもなかった。
 MDPの準備は少しあったと思うが、その年の開幕は3月18日だったので、まだまだ余裕があった。

1995シーズン開幕のMDPから

 してみると、もちろん昼間は練習を取材していたのだが、それ以外は毎日何をしていたんだろう。
 それに比べて、2023年の僕はよく働いたなあ。

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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