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9月15日(1999年) 忘れられない光景 博多の森球技場

 負けた試合の思い出が、良い気分のはずはなく、この試合もそうなのだが、別のインパクトがあり、忘れられないものとなっている。

 1999年9月15日(水)、浦和レッズは東平尾公園博多の森球技場に乗り込んで、アビスパ福岡とJ1リーグ2ndステージ第8節を行い、1-2で敗れた。3試合連続のVゴール負けだった。

 残留争いから最終的にJ2降格してしまうシーズン。最ももがいていた時期だったと思う。
 8月28日の第5節でステージ初勝利を挙げ、ここから巻き返しだ、と波に乗りたかった。しかし第6節はジュビロ磐田に1-2のVゴール負け。第7節は鹿島アントラーズに福田正博が先制したが、やはりVゴール負け。点は取れていたが勝ちきれなかった。
 この福岡戦も前半先制されたが、城定信次のゴールで後半追いついた。しかし勝ち越し点が取れず、延長前半の96分、Vゴールを決められた。

 このころレッズサポーターは、残留一点に集中していた。試合中の必死の応援はもちろんのこと、敗れた後も次の試合に向けて「浦和レッズ」コールを送っていた。
 試合中、失点した直後に「浦和レッズ」コールを発して、選手に下を向かせない、というのはJリーグでレッズサポーターが最も早く始めた応援の手法だと思うが、それは簡単ではないだろう。失点の状況によってはチームを批判したくなるだろうし、ジャッジに不満があるかもしれない。それでなくても、サポーター自身が失点でダメージを受けているのに、諸々の感情を抑えてチームを励ます声を上げるのだ。このこと自体に僕は最初から感動さえ覚えていた。

 敗戦という最も受け入れがたい結果が出た後に、切り替えて次の試合のために、チームにブーイングではなくコールを送るのは、状況によっては行われてきたが、残留争いという苦しい闘いの中、勝ち点が取れなかった後では難しかったと思う。ましてや90分、あるいはそれ以上、全力で応援した後なのだ。

 すべてを出し尽くした後、試合中に匹敵するようなパワーでコールを発したらどうなるか。
 僕はこの福岡戦の後、目撃した。
 肩を落として挨拶に来る選手たちに、いつものように「浦和レッズコール」が起こった。「次だ、次!」などの声もあったと思う。コールは選手がロッカールームに姿を消すまで続き、そして止んだ。

 博多の森球技場はゴール裏のフェンスが高くない。ピッチから簡単にスタンドがのぞける。写真を撮るためにゴール裏の近くにいた僕は、ゴール裏スタンドで座り込む、あるいは倒れているサポーターを何人も見た。文字どおり「力尽きて」いた。不適切かもしれないが、そのときに浮かんだ言葉は「死屍累々」だった。戦いに敗れた兵士たちが何人も横たわっている場面を想像した。
 
 だが、しばらくして思い直した。
 彼らは死んでいない。また負けてもいない。この試合は負けたが、戦いはまだ続いており、最終的な決着はついていない。そのことを彼ら自身が「浦和レッズ」コールで示したではないか。あの博多の森球技場のゴール裏で雄々しく復活し、次の闘いの場へと移動していくのだ。

 優勝したときのレッズサポーターも好きだが、僕は今でもこの99年のサポーターが大好きだ。

 さて、みなさんは1999年9月15日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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