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5月30日(2015年) なぜか分が悪いアウェイ鳥栖戦でようやく初勝利

 2015年5月30日(土)、浦和レッズはベストアメニティスタジアムに乗り込み、サガン鳥栖とJ1リーグ1stステージ第14節を行い、6-1で勝利した。2012年にJ1昇格した鳥栖とのアウェイ戦4試合目にして、これが初勝利だった。

因縁の多かったアウェイ鳥栖戦

 鳥栖とのアウェイ戦には、記憶に残るものが多い。それもポジティブなものではない。
 鳥栖が「フューチャーズ」から「サガン」として再出発した1997年。特別参加が認められたヤマザキナビスコカップの開幕戦で対戦したのが浦和レッズだった。力の差は相当あるものと思われたが、新生チーム初の公式戦に燃える相手をレッズが攻略できず0-0に終わった。
 J2で対戦した2000年は、まず第4節で対戦。開始早々に相手が10人になったこともあり7-0でレッズが圧勝。水曜日ということで現地に行けなかったレッズサポーターを悔しがらせた。しかし二度目のアウェイ戦第23節では0-2。暑さの中で動きが鈍く、完敗の内容にスタンドからはペットボトル
が雨のように降り注いだ。

J1では3年連続V戦線から後退

 そして鳥栖がJ1に昇格した2012年は第33節で対戦。レッズは前節、首位のサンフレッチェ広島に競り勝ち、勝ち点6差に迫っていた。得失点差がかなり開いていたので、残り2試合で逆転することは難しかったがわずかな可能性を残していた。その大事な試合だったが1-3で敗れた。
 2013年も第33節で対戦。今度は首位の横浜F・マリノスに勝ち点4差と、他力ではあるが2試合で逆転可能な状況だった。しかし鳥栖に1-4の大敗。さらに2014年もアウェイ対戦は第33節。こうなると、何らかの意図が働いているのかと疑ってしまう。この年は首位で鳥栖に乗り込んでいた。2位のガンバ大阪に追い上げられてはいたが、残り2勝すればシャーレはレッズのものだった。今度は1-0で勝利目前だったアディショナルタイムに同点ゴールを決められ引き分けた。順位もこの日勝利したG大阪に抜かれた。
 毎シーズン第33節で対戦し、優勝戦線から決定的に離脱するか後退するという結果に肩を落として、鳥栖駅で帰りの列車を待っている記憶が残っていた。

鬱憤を晴らす6-1の大勝

 この2015年は初めて第33節以外でアウェイ戦に臨んだ。 鳥栖は22分に退場者を出し、レッズが数的優位に立つが、31分にFKを直接決められ先制されてしまう。こうなると10人の鳥栖が守備に力を注ぎ、レッズはゴールをこじ開けられずに前半を折り返した。 しかし後半、阿部勇樹のミドルシュートのこぼれを、この年加入した武藤雄樹が蹴り込み同点。その後、柏木陽介が勝ち越し点を挙げ、興梠慎三のゴールで3-1と突き放した。さらにズラタンが2点、梅崎司が1点を挙げ、6-1で試合を終えた。この年の1stステージ優勝に向けて地保を固める1勝だった。 14時からの試合で日帰りが余裕でできる時間だったが、これまでの鬱憤を晴らすような大勝に、帰りの飛行機を変更してギリギリまで飲んでいた人もいるのではないか。

 ただ、その後もアウェイの鳥栖戦は2016年から2022年の今年まで7シーズンで1勝3分け3敗と分が悪い。チームも監督も替わっているのに、この要因は何なのか。とりあえず僕は、鳥栖出身ライターMさんの「いやあ、今年はダメですよ」という言葉を聞いたとき、眉にツバをつけることにしている。

 さて、みなさんは2015年5月30日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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