5月9日(2007年) 内弁慶? ペルシク・ケディリがホームでは豹変
選手が「アウェイを感じる」ACL
ACLについて、選手から「Jリーグではあまり感じることのないアウェイ感が味わえる」という話をよく聞く。
他のチームの選手に聞いたことがないので、これが一般論なのかどうかわからない。Jリーグでアウェイにも多くのサポーターが駆け付ける浦和レッズならではの感覚なのかもしれない。もちろんACLのアウェイでも、他クラブとは段違いの人数が海を渡るが、さすがに国内とは違うし、特に中国での試合は、サポーターの数をはじめ多方面で「完全アウェイ」を感じるから、それが選手たちにも伝わるのだろう。
レッズが初めてACLに出場した2007年は、正直言って応援でレッズが負けていると感じたアウェイゲームはほとんどなかった。ずっとアンプを使った大音量で応援していたセパハンとの決勝第1戦は、他にはない環境だったが、あれは特別だろう。ちなみにJリーグでもトラメガでなく、アンプとスピーカーでコールをリードしていたクラブもあったが、最近はどうなのだろう。
初戦で大勝した相手にアウェイで対戦
さて今日は、応援もそうだが、チームそのものがアウェイとホームではまるで違うチームになってしまうという話だ。
「3月7日のわたしたち」でも書いたように、2007年のACL初戦はインドネシアのペルシク・ケディリを相手に、ホームで3-0と快勝した。3点しか取れないのか、とでも言いたくなるほど手ごたえのない試合だった。それでACLに対して少し誤ったイメージを抱いてしまったが、それは第2戦のシドニーFC戦で修正された。その経緯は「3月21日のわたしたち」に詳しい。
ただ、それはACL一般についての話で、個々のチーム、すなわちペルシク・ケディリに対しての評価が変わるものではなかった。相手のホームで戦うまでは…。
2007年5月9日(水)、浦和レッズはアウェイのインドネシア/マナハン・スタジアムでペルシク・ケディリとACLグループステージ第5戦を行い、3-3で引き分けた。2か月前に3-0で勝った相手とは思えないほどアグレッシブなチームで、3点を失って引き分けたことが信じられなかった。
ACLではホームとアウェイで別のチームになる、ということを学んだ貴重な経験だった。
チームは強いし、サポーターも…
前半は1-2とリードされる展開だった。正直この時点でびっくりした。後半、ロブソン・ポンテと阿部勇樹のファインゴールが決まり3-2と逆転。ひとまず安心したが、4点目が取れないうちに、84分に同点ゴールを決められた。決して油断はしていなかったと思う。
なんだ、なんだ、このやる気満々のスタイルは。3月の埼スタは、インドネシアのチームには寒すぎたのか? まさか猫をかぶっていたわけじゃないだろうが、こういうのを内弁慶と言うのだろうか。
またサポーターも同様だった。埼スタではほとんど存在を感じさせなかったが、このマナハン・スタジアムは本来のホームスタジアムではなかったというのに、多くのケディリサポーターがスタンドを埋めていた。「お立ち台」的なところに若い女性サポーターが立って、「ジュリアナ東京」よろしく踊りながら応援をリードする様も斬新で、93年当時の横浜フリューゲルスを思い出した。
それとゴールが入るたびにペットボトルやゴミなどがスタンドから投げ入れられるのには参った。スタッフがそれを止める様子もなかった。
グループステージ突破に黄信号か
試合がドローで終わったときにはグループステージ2位後退を覚悟した。当時はグループ1位のみノックアウトステージに進出するレギュレーションだったから、そうなればグループステージ突破に黄信号が灯ることになる。しかし、この後に行われたシドニー対上海申花も引き分けに終わり、何とか首位を守って最終戦のホームに戻ることになった。
良い経験だった。今季のACL、同じグループにシンガポールのライオン・シティ・セーラーズがいたので、彼らも地元ではもっと強いのかな、と思ったのは僕だけではないはずだ。
さて、みなさんは1999年5月9日、何をして何を感じていましたか?
※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
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