
10月26日(1994年) いま思うと情けない話だが、当時は大喜びだった
うれしい日だったのだが、少々情けないうれしさだ。
クイズ。
Jリーグオリジナル10、すなわち1993シーズンからJリーグにいたチームのうち、リーグ戦でレッズが初勝利を挙げるのが一番遅かったのはどこでしょう。
1994年10月26日(水)、浦和レッズは大宮サッカー場に名古屋グランパスエイトを迎えて、Jリーグ2ndステージ第15節を行い、1-1の末、PK勝ちした。これでようやくオリジナル10の相手9チームすべてからリーグ戦の勝利を挙げたことになる。
試合はレッズが先制。この年加入した左ウイングバックの中島豪が初ゴールを決めた。しかし後半追いつかれ、1-1のまま延長も終え、PK戦に。後蹴りのレッズは先頭の福田正博が外したが、名古屋も2人目が外し、3-3となった5人目。GK土田尚史が名古屋のキッカーを止めると、レッズの5人目は、くしくも名古屋から期限付き中の浅野哲也で、ボールをしっかりと沈め勝利を決めた。

Jリーグスタートの1993年。レッズは横浜フリューゲルスと名古屋グランパスエイトにはリーグ戦で4戦全敗だった。横浜Fには翌年の1stステージ第17節、通算6回目の対戦で初勝利を挙げたが、名古屋には2敗。2ndステージの初戦もアウェイの第5節で敗れ、対名古屋リーグ7連戦。この第15節が初勝利だった。
名古屋が強豪チームだったのなら、まだ納得もできる。
しかしJリーグ初期の名古屋は、ステージ9位(レッズ10位)、同8位(レッズ10位)、同8位(レッズ12位)、同12位(レッズ11位)と、レッズほどではないが、間違いなく低迷集団にいたのだ。そのチームに8試合して1勝7敗なのだから情けないとしか言いようがないではないか。
もっとも28年前にPK勝ちした瞬間の喜びったら、なかったのだが。
さて、みなさんは1994年10月26日、何をして何を感じていましたか?
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もっと納得いかないのが、低迷チーム同士、接戦だったのならともかく、この8試合でレッズが7得点28失点と、「ボロ負け」の試合が多かったことだ。
思えば、名古屋にとって当時のレッズ戦は、苦しい日々で“癒やし”の時間だったのかもしれない。
まあ、今も通算で負け越しているのだが。