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4月8日(1995年) 福田正博得点王ロードの第一歩は劇的Vゴール

 1995年4月8日(土)、浦和レッズは大阪の長居第2陸上競技場で、セレッソ大阪とJリーグ1stステージ第7節を行い、1-0でVゴール勝ちした。シーズン2勝目。そして、この年Jリーグ得点王になった福田正博のシーズン初ゴールでもあった。

そこに居られなくて悔しい試合の一つ

 3月のマガジンで何度か書いているが、僕はこの年の3月から4月にかけて運動能力に支障が出る病気に襲われ、歩くこともしゃべることもワープロ(当時)を打つこともままならなかった。
 意地だけで、横浜三ツ沢球技場での開幕戦と、ホーム大宮サッカー場での第2節だけは行ったが、ろくに仕事にならず、第3節からはテレビ観戦だった。見たり、聞いたり、味わったりという、感覚は何も鈍ってはいなかったのだ。ただホームゲームに関しては、ほぼテレビ中継があったが、アウェイゲームはほとんどなかった。

 このC大阪との試合も、放送はなかったし、たぶん入院中だったと思う。入院と言っても、治療のためというよりも検査のためで、入院しないとできない検査があるから、ということだった。その話は機会があればおいおい。とにかく、現場に居られなくて悔しい試合の一つだ。

広瀬のパスから福田がVゴール

 だから、この試合の話は、後から見聞きした話と公式記録でしか書けない。ちなみにトップの写真は「散った桜」という題。
 この年は開幕戦に敗れ、第2節で勝利したものの、その後4連敗。1勝5敗で迎えた第7節だった。
 90分でC大阪のシュートが5本、レッズが9本というから、全体にやや低調な試合で、延長後半5分、相手が前がかりになっていたところを、福田正博が裏へ抜け出し、広瀬治からの長めのパスを受けてシュート!見事に決まった(らしい)。

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喜びのあまり十数人が乱入

 ここで気になったのはVゴールを挙げた福田をめがけて、十数人のサポーターがスタンドから飛び降りたということだ。
 それまで負けた試合の後とか、雨の試合中カメラマンの傘で試合が見えないことに抗議して、とかの理由でサポーターがスタンドに飛び降りるということが、なかったわけではない。
 しかし喜びのあまり飛び降りた、というのは初めてだった。もちろんルール違反だし、危険でもあるNG行為だ。選手に危害を加える気はなくても万一のことがあるし、絶対にやってはいけない。やはり「乱入」という表現になってしまう。
 自分がその場にいたら、写真を撮るより、サポーターを制止するか福田を守るか、とにかく仕事は放棄していただろう。少なくともサポーターと一緒になって喜ぶ、ということはなかった(はずだ)。

現地に行って納得、でも乱入はNG

 実はその年、2ndステージもC大阪とのアウェイゲームが同じ長居第2だった。今の長居スタジアム(ヤンマースタジアム長居)は改修中だったのかもしれない。
 8月19日の、この試合のときは僕も社会復帰していたので行ったのだが、そのとき初めてゴール裏のスタンドを見て、その低さを認識した。この写真でわかってもらえるだろうか。

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 スタンド前列のフェンスも低いので、それほど無理しなくても越えられてしまう。陸上競技のハードルぐらいの高さではなかったかと記憶している。「飛び降り」というより「乗り越え」という表現が合う。
 乗り越えやすいから乗り越えてもいい、というものではないからNG行為であることは、あらためて厳に言っておく。

 だが4連敗の後の勝利、しかもエース福田のシーズン初ゴール、さらにVゴールで試合は終了、とどめはその福田が自分たちの方へ走ってくる。こりゃ行っちゃうわな、と心の中で思った。
 その喜んだサポーターたちも、これがこの年32ゴールを挙げてJリーグ初の日本人得点王に輝く福田正博の第1号だという予感まではしなかっただろう。このゴールと得点王を決めた駒場での32ゴール目。両方、目の前で見た人は何人いるだろうか。ちなみにこの2ndステージのC大阪戦でも福田はゴールを挙げている。

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 さて、みなさんは1995年4月8日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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