7月6日(2005年) 不完全燃焼のシーズン、素晴らしい癒やしになった
優勝争いの実感がなかった年
2005シーズンの浦和レッズは、悪くはないがすごく良くはなかった。最終的な順位は2位だったし、最終節の他チームの状況では優勝の可能性もあったのだが、途中で熾烈な優勝争いを演じた感触がなかった。なにせ、この年の上位であるガンバ大阪(優勝)、鹿島アントラーズ(3位)、ジェフユナイテッド千葉(4位)、セレッソ大阪(5位)から1勝も挙げられなかったのだ。それで優勝しようなんて、おこがましいというものだ。
そんな不完全燃焼のシーズンだったが、途中でスポット的に素晴らしく心を癒やしてくれた試合があった。その一つがこれだ。
2005年7月6日(水)、浦和レッズは国立競技場に乗り込んで、東京ヴェルディとJ1リーグ第14節を行い7-0で勝利した。長谷部誠、田中マルクス闘莉王、山田暢久、永井雄一郎、田中達也ら、得点するべき選手がゴールした後、6点目、7点目を「年イチゴール」で知られた平川忠亮が取ったことが、大量点と合わせて癒やされた。
初勝利の代わりに2回の目前優勝
ヴェルディと言えば、1993年5月29日、Jリーグ開幕後4連敗していたレッズが初勝利を挙げた相手だ。そういうありがたい相手ではあるが、一方で、そのお返しのように93年の2ndステージ、94年の2ndステージと2シーズンにわたり、優勝へあと1勝となった試合で対戦し、目の前で優勝を見せられたという、ありがたくない因縁もある。
また、今でも映像で紹介されることがある、ラモス瑠偉とビスマルクがレッズのDFをあざ笑うような浮き球のパス交換で前に運ばれ、最後は武田修宏にゴールを決められるという、一生忘れられない屈辱的な試合もあった。
93年と94年で8回対戦しているが、レッズの1勝7敗。その1勝もPK勝ちと、Jリーグ草創期はヴェルディと圧倒的な差があった。
このころ大勝が多かったV戦
ただ1995年以降は風向きが変わる。レッズが力をつけてきたこともあるが、ヴェルディが世代交代に失敗しJリーグ発足当時の黄金期を維持できなかったことが大きい。95年から2002年までの勝敗はレッズの8勝2分け6敗とだいぶ改善された。
なぜ2002年までなのか。2003年以降、レッズはリーグ戦でヴェルディに負けていないからだ。しかも勝った試合では大勝が多い。
この2005年の7-0を筆頭に、この年後半の埼スタでは4-1、04年の埼スタでは7-2、03年の駒場では5-1と、胸がすくような内容と結果を残している。
ヴェルディはこのシーズン17位でJ2降格が決定。それに関しては僕は何も感じなかった。ただ、いま振り返ると少し残念なこともある。
もし2006シーズンもヴェルディがJ1に残っていれば、レッズがJリーグ優勝を決めるときに相手になったかもしれないからだ。やっぱり粘着? 僕。
さて、みなさんは2005年7月6日、何をして何を感じていましたか?
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。