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7月3日(1993年) 背番号9が挙げた決勝点、これがJリーグ3勝目
1993年7月3日(土)、浦和レッズは駒場球技場(訂正:駒場球技場って、どこよw。もちろん駒場競技場の誤りです)にサンフレッチェ広島を迎えて、Jリーグ1stステージ第15節を行い、1-0で勝利した。そろそろステージ終盤に差し掛かろうかという時期で、これが3勝目だった。
6月12日に清水エスパルスに逆転勝ちして、ステージ2勝目を挙げたが、その後が続かなかった。第10節からはリーグ戦二巡目となり、多少なりとも相手のことがわかっていたはずだが、それでも勝てなかった。
一つにはケガ人が多く出ていたこともあるだろう。この広島戦もシーズン初出場の選手が2人先発していた。一人はDF池田太。もう一人は、この試合で決勝点を挙げたFW松本安司だ。
試合がすごく面白かったかというと、そういう記憶は残っていない。固い試合だったように思う。広島はそういうチームだし、この試合のレッズはしっかりボールをつないでいたから、いつもより危ないシーンが少なかった。
そして後半14分、レッズのCKから混戦となり、こぼれ球を左ポスト際で松本が蹴り込んだのだ。
その後も相手の攻撃を抑えた。シーズン3勝目は初めての完封勝ちだった。
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Jリーグデビュー戦でチームを勝利に導く1点を挙げた松本は、背番号9を身に着けていた。当時は固定背番号制ではなく、「レッズの9番」福田正博は第12節のジェフ市原戦でケガを負い、そこからずっと欠場していた。後に松本は「福田さんの9番を着けて試合に出ただけでもうれしかったが、決勝点を挙げることができてホッとした」と語っていた。
松本は現在静岡県の藤枝明誠高校サッカー部の監督を務めている。藤枝明誠は現在プリンスリーグ東海に所属しており、今年のインターハイ静岡県予選で惜しくも準優勝だった。僕は2005年からフリーの立場でMDPに関わるようになってから、新しい企画でかつての選手たちのその後を取材しに全国を回った。松本「監督」の話も、そのシーズンのMDPに掲載されている。
ちなみに、この試合でJリーグデビューしたもう一人の池田太は、現在日本女子代表監督を務めている。
さて、みなさんは1993年7月3日、何をして何を感じていましたか?
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。