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12月5日(2009年) 来季へのモチベーションにするしかなかった鹿島の3連覇

 2009年12月5日(土)、浦和レッズは埼玉スタジアムに鹿島アントラーズを迎え、J1リーグ第34節(最終節)を行い、0-1で敗れた。

 試合前の段階で鹿島は勝ち点63の首位、レッズは52で6位。大きな差があったが、返す返すも思い出すのは第18節(7月18日)から24節(8月29日)までの「真夏の7連敗」だ。
 フォルカー・フィンケ監督がチームに持ち込んだパスサッカーは、ビルドアップからフィニッシュまでに多くの選手が関わる「人もボールも動く」サッカーにレッズを変貌させた。見る者を楽しませて、勝てるサッカーになった。ただし、一人ひとりの運動量は格段に増加し「このサッカーで夏を乗り切れるのか」と早くから言われていた。その不安が見事に当たってしまった結果になった。
 あの7連敗が3勝4敗で乗り切れていれば、この最終節は優勝が懸かる一戦になっていた。シーズン序盤の第10節には首位にいたのだから、それほどムチャクチャなタラレバでもないだろう。

 だが「あの夏がなかったら」というのは現実逃避でしかない。フィンケ監督は続投が決まっていたのだし、僕は「夏を乗り切ればレッズは優勝に絡める」と来季に思いを馳せていた記憶がある。
 ただ、首位の鹿島が勝てば目の前で優勝される。それはゴメンだった。しかも優勝すればJリーグ初の3連覇を達成させてしまう。さらに、その皮切りになった2007年はレッズが逆転優勝を許したもので、3連覇の1年目と2年目に「貢献」することになってしまうのだから責任は大きくなる。
 鹿島が負けても2位チームの結果によっては優勝になるが、それは仕方がない。とにかく埼スタで勝たせないことだけを考えていた。

 レッズはパスサッカーを貫徹して、ボールを支配した。チャンスの数はほぼ互角だったが決定力は鹿島が上だった。66分、カウンター攻撃を受けアーリークロスに飛び込んできた興梠慎三に頭で合わされ失点。その後はギアを上げて相手ゴールに迫る回数を増やしたが1点が遠く、12月の冷たい雨の中、相手の優勝セレモニーを最後まで見ることになった。

 この悔しさも、来季優勝に向けて進む材料にしなければならない。喜ぶ鹿島側を目に焼き付けていた選手とサポーターは多かったのではないか。

 さて、みなさんは2009年12月5日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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