見出し画像

清尾淳のレッズ話#273 君は見たか、あの7点、あの長谷部、あのエメ~激闘ピックアップ/試合以外の「初」はこちら

 2004年のリーグ戦で思い出に残る試合、と考えたら、11月20日の名古屋戦以外にいくつもあって絞りがたかったが、YouTubeは10分程度と考えているので、レッズ話では5試合にした。
 
 で、時間があれば残しておきたかったのが、1stステージ第4節、4月10日のヴィッセル神戸戦@駒場。
 試合内容ではない。この日のハーフタイム、ラッセル ワトソンが歌うステージがあった。

 ラッセル ワトソンは、イギリス・マンチェスター出身のテノール歌手で、趣味でバーなどで歌っていたのが認められてプロになり、マンチェスターユナイテッドのホーム最終戦、優勝セレモニーの際に歌劇「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」を歌い、大好評を博した人。この2004年4月10日、日本公演で来日するのを機会に、レッズのホームゲームで歌ってもらおうという話になった。
 別にレッズとマンUは何か提携していたわけではない。ラッセル トソンがレッズのチームソングの原曲を歌っているわけでもない(そりゃロッド チュワートだ)。なのに何故?という疑問は当然湧き上がる。
 
 そりゃもう、佐藤仁司さんがいたから、と言うしかない。

 佐藤さんは三菱サッカー部のマネージャ―から、プロ化に伴いレッズのスタッフになった方で、レッズ設立時は営業、広報、運営と、強化以外なんでもやっていた。森孝慈さんが「浦和レッズの親父」なら、佐藤さんは「浦和レッズの執事」みたいな存在であり、いろいろなことの「生みの親」でもある。
 たとえばMDPもその一つだし、コロナ禍を機にクラブが止めてしまったが、オフィシャルイヤーブックやハンドブックを作ったのも佐藤さんだ。名曲「ファーストインプレッション」を探してきて選手の入場曲(レッズアンセムと言われてもピンとこない)に定めたのも、「セイリング」のカバーでチームソング「We are Diamonds」を作り、専門家が書いた詩を日本語訳したのも、駒場スタジアムのピッチサイドにキッズスペースを設けたのも、レッズの選手とだけ手をつないで入場し、相手選手に花を一輪ずつ手渡して去って行く「フェアプレーキッズ」(一般にはエスコートキッズ)を始めたのも、他会場で禁止された紙吹雪を駒場だけはOKにしたのも、スタンドから投げられるからと言って他クラブがペットボトルの持ち込みを禁止しても「暑い中、水も持ち込まずに応援してくれなんて言えない」とホームでは禁止にせず、ついに1本のペットボトルも飛ばない駒場や埼スタを作ったのも、スタジアムDJに落ち着いた話し方をするよう指示したのも(岩澤慶明さんは、クラブDJみたいなノリノリのしゃべりも得意だという)、それから…、

 とにかくレッズの原型みたいなものの多くは佐藤さんが、もしくは佐藤さんが先頭に立ってスタッフたちが、サポーターの意見も聞きながら作ってきたものだと言って大間違いではない。
 その中には、スタジアムの中にはサッカー以外の要素をなるべく入れない、ということもある。毎回、南広場などでユニークなイベントを展開するレッズだが、スタジアムのゲートをくぐった後は、ボーイズマッチのほかイベントはほとんどない。たまにアカデミーのチームが全国大会で上位に入ったときの報告会や地元の学校や少年団が全国大会に出るときなど壮行会を行ったりするが、それもサッカーの範疇だし、キックオフからはだいぶ離れた時間に行われる。
 Jリーグの「公式アンバサダー」とか「公認サポーター」であっても、タレントがピッチに入ることはまずない。それに関して賛否両論あるかもしれないが、レッズはずっとそれでやってきた。この2004年もそうだった。

 その佐藤さんが、ピッチで歌手に歌わせる? それもハーフタイムに? というのだから僕も最初は面食らった。スタッフの中には「趣味でやってる」と言う人もいた。
 趣味。そう、佐藤さんは大のマンUファンなのだ。それを詳しく言うと、長くなるので割愛するが、相当なものだと思って間違いない。ただ、それと仕事を混同したりはしなかったと思う。唯一、「私」が少し入ってないか?と思ったのは、1997年7月にマンUとプレシーズンマッチをやった際に、それまでの国際親善試合では発行しなかったMDPの特別号を出したことぐらいか。

 だが佐藤さんは、決してラッセルワトソンがマンUのホームで歌っているから、レッズでその真似をしたい、と思ったわけではなかった。いわゆるサッカーの本場では、試合のときにこんな歌を聞いて、高ぶった気持ちを静め、あるいは逆に盛り上げているんだ、ということをレッズサポーターにも知ってもらいたかったのだ。オールドトラフォードの観客がスタンディングオベーションでたたえたという、ワトソンの「GOLDEN VOICE」をレッズサポーターにも聴いてもらいたい、ということもあっただろう。
 決してアイドルグループの登場に道を拓くものではなかった。本人が一番味わいたかっただろうというのは否定しないが。
 時間帯がハーフタイムになったのは、当日のワトソンのスケジュール上、試合前は不可能だったかららしい。

 おそらくサポーターも興味津々、半信半疑というスタンスで当日を迎えたに違いない。
 前半が終わり、ピッチ上に「Welcome Super Voice!」と書かれた演壇とマイクが設置され、ラッセルワトソンが入場してくる。たしか大きな拍手はなかったと思う。

 黒いジャケットのワトソンが歌い出す。曲はもちろん「誰も寝てはならぬ」。
 一瞬でひきつけられた人は多かっただろう。そして、それ以外の人も徐々に彼の世界に入っていったに違いない。

 途中、ワトソンがジャケットを脱ぐと、下にはレッズのユニフォーム。ありがちな演出なのだが、そこで残りの人たちの気持ちもガッチリつかんだはずだ。

 歌が終わったときには、やんやの拍手だった。

 子どもたちから花束を受け取り、ご満悦の表情で戻って行った。

 僕は事前に彼のCDを買って何度も聴いていたので、「生ワトソン」が楽しみだった。CDのジャケットより若干太っていたようだ。いま思えば、どうしてCDを持って行ってサインをもらわなかったか。当時は、試合のときにサインをもらうなどとは、たとえ相手がサッカー選手であっても自分の中ではタブーだったのだろう。自分も闘っているつもりだったから。

 ところで試合は、前半1-0で折り返したレッズが、後半追い付かれたが、68分に長谷部が決勝点を挙げ、2-1で勝った。テレ玉の番組「GGR」が、ワトソンの歌にのせて、良い感じで試合を編集してくれていた。ディレクター、グッジョブ。

 このクオリティーで、試合の雰囲気を壊さない歌なら、数年に一度くらいあってもいいかな、と思ったがその後はない。
 2004年はそんなこともあったのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?