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10月5日(2005年) 準決勝敗退の要因はオシム監督、阿部勇樹、そして…
2002年から浦和レッズは3年連続でJリーグヤマザキナビスコカップの決勝に進出した。もう決勝に行くのは当然のように思っていた。この大会では1992年の初回から3年連続でヴェルディ川崎が決勝に出場していたので、2005年にレッズが決勝に進めば、4年連続ファイナリストというJリーグ新記録を作る状況だった。
しかし、いろいろな要因があって、それを阻まれた。
2005年10月5日、浦和レッズは市原臨海競技場に乗り込んで、ジェフユナイテッド千葉とJリーグヤマザキナビスコカップ準決勝第2戦を行い、2-2で引き分けた。第1戦を1-3で落としていたので、トータル3-5で4年連続の決勝進出はならなかった。
2点のビハインドから始まる第2戦。レッズはモチベーションはもちろん、プレーでも相手を上回っていた。前線に永井雄一郎、田中達也、マリッチのFW3人を配する3-4-3の攻撃的布陣で、開始から主導権を握った。そして19分にCKから田中マルクス闘莉王が先制。27分に達也がゴールを挙げて、早いうちにトータルスコアを3-3にし、勝負を振り出しに戻した。
ちなみに当時アウェイゴール制はなかったので、そのままなら延長になっていた。
前半のうちにトータルで上回りたいレッズは攻撃の手を緩めず、惜しいチャンスを何度か作ったが3点目を取れずに折り返した。
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千葉は、ハーフタイムにイビチャ・オシム監督の雷が落ちたという。
その雷に打たれて変身し、レッズの前に立ちふさがったのがあの男だった。
47分。後半開始直後に左CKを得た千葉は、ニアサイドというにはかなりゴールから離れたところで阿部勇樹が頭に薄く当てるヘディングシュート。ボールはスピードを落とさずコースが変わりレッズのゴールに吸い込まれた。
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トータル3-4とまた1点ビハインドになったが、前半の勢いからすればあと1点、いや2点は取れると思われた。
しかしオシム監督の雷は阿部以外の選手をも奮い立たせ、千葉はまるで違うチームのように前向きに戦ってきた。レッズも諦めずに戦い続けるが、相手のネットを揺らした場面ではファウルで得点が認められず、70分には闘莉王が2回目の警告で退場。エリア内にドリブルで進入し相手DFのスライディングで倒されたが、PKどころか逆にシミュレーションの判定が下ったのだ。相手の足は完全に闘莉王の足にかかっており、PKはもらえなくても倒れるのは妥当だと思われたが、主審は待ち構えていたようにすかさず笛を吹いた。
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10人になったレッズは、1点を狙って戦い続けたが同数のときほどの迫力は出せず86分、阿部に決定的な2点目を決められた。雨の平日とは思えないほど多くのレッズサポーターが見守る中、悔しい、悔しい準決勝敗退だった。
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ジェフは市原時代の2001年から、この市原臨海でレッズとのリーグ戦ホームゲームを行っていない。2004年まで4年連続で国立競技場を使用していた。
しかし、この準決勝第2戦は平日ということもあっただろうが、オシム監督が「どうしてわざわざ相手のサポーターのほうが多くなるようなスタジアムでやるんだ」とクラブを戒めた、という話もあった。たしかに、もし国立でこの第2戦が行われていたら、間違いなくレッズのホームゲームのような様相を呈していただろう。
オシム監督の慧眼とクラブへの発言力、そして試合の流れを真逆に変える指導力、さらにその申し子、阿部勇樹にやられた第2戦だった。
しかし、敗退の遠因は駒場での第1戦にあった。
第1戦の開始1分に記録されている巻誠一郎のヘディングでのゴールは、間違いなく腕に当たっていた。先日のMDPでは少し遠慮して書いたが、完全な誤審だ。いくら駒場の照明の照度が落ちてきていたとは言え、そこはよく見て欲しかった。
だが、その誤審が敗退の遠因と言っているわけではない。多くの選手がハンドを目撃していただけに、なかなか切り替えにくかったのはわかるが、そこでメンタル的に不安定になってしまったこと、主審への不信感を募らせたことで、その後2点を失い1-3という厳しいスコアになってしまったのだ。あれが1-1、悪くても0-1で終わっていれば、第2戦の内容も変わっていたのではないかと思われてならない。
さて、みなさんは2005年10月5日、何をして何を感じていましたか?
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