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11月3日(2003年) これしかない11月3日

 いやはや。
 11月3日の公式戦がなんと多いことか。
 だから書きたい「あの日」がほかにも複数あるのだが、浦和レッズ30年と銘打ったマガジンだから、いや30年が40年、50年になっても、「浦和レッズの11月3日」と言えば、筆頭はこれだろう。

 2003年11月3日(月祝)、浦和レッズは国立競技場で鹿島アントラーズとJリーグヤマザキナビスコカップの決勝を戦い、4-0で勝利した。これがレッズとして初めてのタイトル。初戴冠だった。

 この日のことは、いやというほど書いてきた。
 うん。2003年11月3日にまつわることなら、小冊子を作るぐらいの原稿を用意できる自信はある。それは、それでいつか、noteマガジン「レッズ初戴冠の日」を作るかもしれない。

 なので、ここでは箇条書きでテーマだけ挙げておこう。

・前年と同じ決勝の顔合わせで「連覇か雪辱か」というキャッチフレーズが付けられたが、利息を付けた雪辱だった。
・前半終了近くに坪井慶介とエメルソンが激突し、共に流血のケガを負ったが、2人とも応急措置だけで最後までプレーした。
・そのケガのとき、「早く(外に)出せよ」と言う選手と「このケガを見たらそれは言えないでしょ」と言う選手がいて、同じ鹿島の選手でも人間性の違いが顕著だった。
・レッズサポーターが鹿島のゴール裏をのぞく国立のスタンド約4分の3でビジュアルサポートを敢行した。
・前日、ニューヒーロー賞を受賞した田中達也が、決勝のMVPにも輝いた。
・数千人のレッズサポーターが自由席エリアに入場したが、事前抽選と事前待機の方法を自主的に決め、実にスムーズな入場だった。
・クラブがシーズン限りで自分との契約を終えようとしていることを察したオフト監督が、先手を取るとばかりに、優勝後の記者会見で「今季限りでやめる」と宣言し、大きな話題となった。
・達也がゴールを挙げた後、目の前に来たので、清尾が素晴らしい写真を残すことができた。

 当時のさいしんコラムに、それ以外にも2003年11月3日にまつわる話をいっぱい書いている。一つだけリンクを張っておくので、興味のある人はそちらをどうぞ。その前後にも散らばっています。 

「ナビスコ杯優勝記念号」とでも言うべきMDP

 さて、みなさんは2003年11月3日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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