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2月10日(2006年) シドニーキャンプスタート
2006年2月10日(金)、浦和レッズはこの日からオーストラリアのシドニーでトレーニングキャンプを行った。
ギド・ブッフバルト監督になって海外キャンプは2回目。2004年は同じくオーストラリアのアデレードがキャンプ地だったが、僕は行かなかった。
2005年2月に埼玉新聞社を辞めてフリーになったので、それまで会社に遠慮して行かなかった海外キャンプにも行くようにした。だから僕にとっては初の海外キャンプ取材だった。
ちなみに、このシドニーキャンプは2月21日までだったのだが、2023年のキャンプが1月11日から29日までだったのと比べて昔は1か月以上遅かったことになる。前年の天皇杯決勝に進んで2006年の1月1日まで試合をしていたのだから仕方がない。ちなみにJリーグ開幕が3月4日で、そのまえの2月25日にスーパーカップがあった。今年のスーパーカップは明日2月11日で、Jリーグ開幕が18日。サッカーカレンダーの変化に、今さらながら気づかされる。
沖縄も暖かかったが、それは「浦和に比べれば」という前置きがある。日本を寒波が襲った日は、グラウンドコートを持ってくれば良かった、と思ったほどだ。
2月のシドニーは暖かいのではなく暑かった。日本の真反対だとすれば8月に当たるのだから当然だが、選手はみんなスリーブレスに短パンというウェアで練習していた。浦和に帰ったときのギャップが少々懸念された。
途中、13日には練習をオフにして全員で海に行った。泳ぐものあり、付近を散歩するものあり、夕方まで自由時間だった。浜辺で地元の若い女性に声を掛けられていた選手もいた。こういうとき、何となくグループ分けを観察していると、誰と誰が仲が良いんだな、というのがよくわかる。5年ぶりに復帰したばかりの小野伸二は、すでに“番長”格で何人もの選手を引き連れて歩いていた(と思う)。2人で商店街を散策する鈴木啓太と堀之内聖のペアには誰も割って入れなかった(笑)。
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夕飯は海岸の店で海鮮焼き(和風に言うと)をたらふく食べた。いや、現地の人にとっては普通の量なのだろうが、僕やライターの小齋秀樹さんは満腹だった。ウィスキーかワインがあればもっと食べられたかもしれないが、さすがに飲むわけにはいかなかった。
このキャンプ中に、新加入のワシントンともすっかり打ち解けた。
彼は、インタビューを受けているところの写真撮影もあるよ、というと、急に「シャシン!」と言って立ち上がったので何をするかと思ったら、香水を首筋に拭きかけるポーズをした。ジョーク好きだとわかった。
ガタイの大きな人はそれだけで威圧感を受けるものだが、それがすっかりなくなった。
オフィシャルメデイア陣もホテルは同宿だし、車もスタッフに乗せてもらっていたから自分で運転することもなく、楽チンだったが、半面、自由に車で出歩くとか街を見て回るとかはできず、レッズ漬けの12日間だった。選手はどうだったのだろう。サッカーしかない日々だったと思うが、良いキャンプになったのだろうか。この年、レッズはJリーグ初優勝を遂げるのだから、少なくともキャンプが悪かったわけではないだろう。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。