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11月17日(1999年) 「裏」なんかじゃない、これが俺たちの天王山だった
1999年11月17日(水)、浦和レッズは駒場スタジアムにジェフユナイテッド市原を迎えて、J1リーグ2ndステージ第12節を行い、1-0で勝利した。
初めてのJ1残留争いも最後のターンに入った。4試合を残してまだ残留が確定していないチームは少なくなかったが、実質的にジェフユナイテッド市原、浦和レッズ、ベルマーレ平塚の3チームによるサバイバルレースの様相を呈していた。
その中でも年間15位のレッズと14位の市原が戦うこの試合は「裏天王山」と言われ注目されていた。
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ハタ目には「裏天王山」でも、当事者にとって「表」の天王山であるステージ優勝など、もはや別世界の話なのだから、これが正真正銘の天王山だった。
前節から半月以上のインターバルがあり、チームは十分な練習を行って臨んだ。
またサポーターも、駒場ではやったことのない応援の準備をしていた。
選手入場の際には、バックスタンドの2階に赤白黒のデカ旗を広げ、1階には「PRIDE OF URAWA」の文字を並べた。それぞれ地をレッズカラーのビニールシートなどで染めていた。メーンスタンドでも三色の小旗が振られた。何時間も前からの仕込みが必要なビジュアルサポートだった。
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さらに東側立ち見席では発炎筒が炊かれた。
僕は試合の応援で発炎筒を炊くのは賛成しない。もちろんルールと法律に反しているという大前提もあるのだが、そもそもJリーグが始まってから何度か見たものは「発煙筒」だったのか、煙を見ても、伝わるもの、心に湧き上がるものがなかった。
しかし、この1999年11月17日、何本も炊かれたらしい発炎筒は、衝撃だった。「あ、やばいことやってるな」という常識も思い浮かべたが、それを吹き飛ばすほどの感情があった。闘争心が駆り立てられた。そうだ、それぐらい大事な試合だよな、とあらためて自分に言い聞かせた。
決して自己満足ではなく、この試合に懸ける思いが伝わって来た。そして余談になるが、試合の後、1人のサポーターが「僕が持ち込んで、僕が指示してやらせました」と本部に名乗り出て来た。水の入ったバケツを用意して、消火は完全にしたという。周りの人の服に被害があったとも聞くが、それは弁償されたのかどうか、わからない。でも、損害賠償を請求されても応じるだけの覚悟を持って名乗り出たに違いない。賠償がどうなったのかは知らないが、始末書で収まったはずだ。
このときから別の意味でも発炎筒はサッカーの応援にはNGだと僕は思っている。
あれは、ドーピングだ。火を見ると人間は目が吸い寄せられ、気持ちがかき回され、闘うボルテージが跳ね上がる。
レッズサポーターはそうい安易な手段に頼ることなく、自らを盛り上げる術を持っているはず。法律や条令の前に、応援の手段として取ってはいけないものだと思っているのだ。
試合は、両チームとも徳俵に足が掛かったような必死の戦いだった。後半はレッズの攻勢が増し55分に市原の中西永輔が2回目の警告で退場になる。それでもスコアは動かないが、最後に決めたのはやはり、この男だ。86分、福田正博がこの試合自身5本目のシュートをジェフのネットにたたき込んだ。駒場が揺れた。
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19,279人の入場者、464人の報道陣のどよめきから数分後、終了のホイッスルが吹かれ、レッズは大一番に勝利した。
2ndステージ3勝目。駒場では初勝利だった。
得失点差で下回っているためまだ順位は15位のままだったが、レッズは勝ち点で市原と並んだのだ。
さて、みなさんは1999年11月17日、何をして何を感じていましたか?
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。