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4月17日(1999年) 京都の“救いの神”? 再びシーズン初白星献上

 1999年4月17日(土)、浦和レッズは駒場スタジアムに京都パープルサンガを迎え、Jリーグ1stステージ第7節を行い、当時開幕から6連敗中だった京都に0-1で敗れた。

「連敗ストッパー」は京都戦から?

 レッズサポーターが「連敗ストッパー」という自虐的な呼称をレッズに付け始めたのはいつだろう。そういう試合がいくつもあったからだが、代表的なものは1996年、9月7日の第18節・京都戦ではないかと思う。
 この年、Jリーグに昇格した京都は開幕から17連敗という、すごい記録を作っていた。96年のJリーグは16チーム体制だから前半戦15試合全ての相手に負け、二回り目に入っていたのだから、どこが最初に負けるか、ロシアンルーレットか「黒ひげ危機一髪」みたいな雰囲気だった。
 そこで「ババ」を引いたのがレッズだった。相手のホーム西京極総合運動公園陸上競技場でJリーグ昇格後初勝利を献上し、京都の歴史に名前を刻まれてしまったのだ。

今度はホームでやってしまった

 今日のテーマである1999年も、また京都が開幕から連敗していた。97年と98年も負けは込んでいたが開幕すぐにシーズン初勝利は挙げていたはず。もしかして京都サポーターは「連敗ストッパーの浦和に期待しよう」と思っていたかもしれない。

内容はそれほど悪くなかったはず

 その願いが叶ってしまった。
 前半5分、京都のCKから先制される。だがレッズは、ここまで2勝3分け1敗と、それほど悪い成績ではなかったから不調とまでは言えなかった。チャンスも作っていたから、いつか追い付き、追い越せるだろうと僕は思っていた。
 だが、その時間が来ることはなく、13本のシュートを放って無得点。またもや京都に対してシーズン初勝利を、しかも今度はレッズのホームで挙げられてしまったのだ。まったく京都にとっては「救いの神」になってしまった。

こんな見出しは付けたくないですが事実なので

実は残留争いの明暗分けた一戦

 この1999年は周知のとおりレッズが降格した年。先述したように、第6節まで2勝3分け1敗だったのが、この京都に負けてから3連敗を含めて6試合勝ちなしと低調になってしまう。さらに言えば、この年の年間最終成績でレッズと京都の勝点差は「3」。つまり、この1999年4月17日の試合は、レッズと京都にとって残留争いの明暗を分けた一戦だったとも言えるのだ。

熨斗を付けて返してもらいたい

僕にとって京都の街は、青春時代の1年間を過ごしたところで、非常に濃い思い出がある、好きな土地なのだが、浦和レッズにとってはときどき「鬼門かよ」と思えることがある。心の底では排他的だという京都市民の性格が表われるのだろうか。
 2022年の今季も「J1昇格初勝利」を進呈してしまった。7月の埼スタでは絶対に、熨斗を付けて返してもらおう。
 
 さて、みなさんは1999年4月17日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。


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