1月19日(2012年) 初めての3rdユニフォームがお目見え
2012年1月19日、浦和レッズは恒例の新加入選手記者会見と新ユニフォーム発表会を行った。レッズが初めて3rdユニフォームを作った年だった。
新加入選手は、移籍のポポ、槙野智章とレッズユースから昇格の野崎雅也、矢島慎也の4人だった。前々日のミハイロ・ペトロヴィッチ監督就任会見に続いて、だんだんと新シーズンの陣容が固まっていく感じだった。
新ユニフォームの発表は、新加入選手会見の前に行われる。この年の目玉は何と言っても3rdユニ。3rdユニを持つ海外のクラブは少なくなかったが、レッズはそれまで2ndまでしか作っていなかった。他のJクラブはどうだったろう。記憶が、というより興味があまりまかった。
赤、黒、白のユニフォームが三着並んだ。初めは白が2nd、黒が3rdだと思ったが、黒が2ndらしい。ふうん。
Jリーグが始まった1993年。レッズのリーグ戦2ndユニフォームは青だった。他のクラブが白をベースにチームカラーを少し入れたものを2ndユニにしている中で、白を使っていないのはレッズだけだった(はず)。それが僕には少し誇らしかった。
「2ndユニの色というのは、まず1stユニと2ndユニで試合ができるような色でないといけないんです」
当時のレッズで強化以外のこと全般を担当していた佐藤仁司さんが、僕に説明してくれた。だから多くのクラブは2ndに白を使う。
だが、それでは能がない。たとえばあのころ、イングランドのアーセナルは2ndが黄色だったと記憶している。マンチェスター・ユナイテッドは黒もあったし、青もあったかな。緑だったかも。
チームカラーとは全く違う、しかも白ではない色を2ndに使う。レッズだけがそうしていることが、うれしかったのだ。
だが、あの青ユニは勝てなかった。1994年も同じユニフォームだったが、当時は引き分けがなかったので「勝てなかった」のではなく「全敗」だった。そもそも1993年がリーグ戦8勝28敗、1994年が11勝33敗なのだから、アウェイで勝てなくても不思議はないのだが、先制した試合でも逆転負けし、ひどいときは3点取った試合をひっくり返されたこともあったから、いつしか「呪われた青」とまで呼ばれるようになった。ユニフォームに罪はないのに。僕は、さっき言ったようにあの青ユニが大好きだったから悲しかった。
1995年から2ndユニが白系になった。白での勝利は珍しくなくなった。色のせいではない。オジェック監督になって、五分以上の成績が挙げられるようになったからだ。
そのうち、アウェイで「赤・白・白」とか「赤・黒・黒」を使う試合が出てきた。たとえばガンバ大阪とか大分トリニータなど、シャツの色だけならレッズが赤を着ても問題はないが、ソックスの色がかぶるのでそれまでは2ndユニのキット「白・黒・白」にしていたのを「赤・白・白」でもいいんじゃないですか、とレッズが提案し、了承を受けた。
なるべく赤を着て試合をしたい。その思いからだった。「赤・黒・黒」はなんだろう?相手のパンツの色が白だったから?
初めて見た「赤・白・白」は少し弱っちく見えた。「赤・黒・黒」は逆に強そうだった。
いずれにしてもアウェイで「赤」が戦うことが大事なんだと思えた。
3rdユニを作ったのがクラブの意向なのか、ナイキの提案なのかはわからなかった。
だが、3rdまでできたということは、あの「赤・白・白」はもう見られないのかな、と少し寂しさを感じながら、新ユニフォームの説明を聞いていた。
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