1月6日(2003年) そのひと言で十分だった
2003年1月6日(月)、浦和レッズは福田正博が現役を引退すると発表した。翌7日、さいたま市内で引退記者会見が行われた。
1989年に中央大学から三菱入りした福田は、89/90シーズンの日本リーグ2部で36得点を挙げてチームの1部復帰を牽引。そこからエースストライカーとして、1992年のプロ化以降はレッズで活躍を続け、1995年には日本人初のJリーグ得点王に輝いた。
Jリーグ初期のレッズが、成績が良くなくても人気があったのは、日本一熱いサポーターの応援によるところが大きかったが、ストイックにゴールを目指す福田のプレーに胸を熱くするファンが多かったことも、また背景の一つと言って間違いないだろう。
2002年を最後にクラブは契約満了を告げ、併せてコーチ就任を打診したが、福田は現役続行を模索するとしてコーチの要請を断り、シーズン終盤は「レッズでプレーするのはこれが最後、ということだけは決まっている」と口にしていた。
動向が注目されたまま年を越し、6日になってこの発表だった。
翌日の記者会見には多くの報道陣が集まった。多彩な質問が飛んだが、今でも記憶に深く刻まれているのは「現役続行を求めて移籍も模索していたと思うが引退を決意した理由は」という趣旨の(文言は定かでない)質問に対する答えだ。
「レッズ以外のチームのユニフォームを着てプレーするのは難しいと思いました」
言葉をかみしめるように、そして最後は涙声だった。
会見は1時間以上に及んだように思うが、僕はこのひと言で十分だった。
あとはいろいろな表情を撮ることに集中していた。
今季は大原に行っても試合を見ても福田正博の姿はないんだ、ということがだんだんはっきりしたものになっていった。
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