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清尾淳のレッズ話#274 常勝クラブへの扉を開けた2004年/どの扉を開けるかという選択肢はあったのか

 2004年と言えば、Jリーグがスタートして12年目。J2から復帰して4年目。
 たしかに優勝できないことに、倦んでいたかもしれない。
 前年、ナビスコ杯で優勝し、ステージ優勝も、と気持ちは高まりつつ勢いに乗れなかったことも影響していたかもしれない。とにかくリーグ優勝したい、という願望は強くなっていた。

 オフトによる土台作りは3年から2年に短縮されたが、かなりしっかりした規律はチームに生まれていて、特に守備に関しては「守るだけで面白くない」と周りから揶揄されるほど強くなっていたと思う。
 その土台の上に立って、即戦力を獲得しチームを強くする、という方向は決して間違いではないし、当時のファン・サポーターの心情にも合っていたのかもしれない。

 また入場料収入の増加により、選手獲得の原資にあまり困らない、ということもあった。アジア最大級のサッカー専用スタジアムと、そこを満員にするサポーターの中でサッカーができるという魅力も今以上にあり、レッズからのオファーを断る選手はあまりいなかったのかもしれない。

 そういう状況の中で、たしかにレッズは常勝クラブへの扉を開けた。その後のタイトル獲得状況を見れば、間違った扉を開けたとは思わない。少なくとも当時の条件を生かし、レッズを支えてきた多くの人たちの要望に合致した時代を数年は続けられたのだから。あのとき「別の扉を開けることも考えようよ」と言う勇気は僕にはなかったし、そんな見識もなかった。

 だが、あの黄金時代がもっと長く続くような扉はなかったのか。黄金時代とまではいかなくとも、優勝争いをずっと続けられるような選択肢はなかったのか。埼スタに集まる5万人だけではなく、浦和のまちの多くの人から指示され続けるやり方はなかったのか。

 贅沢を言えばキリがないし、タイムマシンで20年前に戻ることはできない。2004年に開けた扉の選択が正しかったのかどうかという疑問にどんな意味があるのか。
 ただし前に進んでいくときに、より良い方向を選ぶことは大事だ。
 そのために、来た道を振り返り、もっと良い道はなかったかと想像して検証することは有益だ。それは過去を後悔するためではない。これから先の未来に、なるべく後悔しないためだ。
https://youtu.be/S9iWST1uPQk




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