12月29日(2005年) 初の全国二冠を果たした弟分に続き、天皇杯決勝初進出
2005年12月29日(木)、浦和レッズは国立競技場で大宮アルディージャと第85回天皇杯全日本サッカー選手権準決勝を行い、4-2で勝利した。前半レッズが先制して追い付かれ、後半レッズが勝ち越してまた追いつかれるという展開だったが、延長に入ってレッズが2点を奪い、粘る大宮を突き放した。
大宮はこの年、J1に初昇格。レッズとはヤマザキナビスコカップの予選リーグでも対戦し、この天皇杯を含め主要三大会すべてでさいたまダービーが行われることなった。
レッズは前年、2ステージ制の2ndステージで優勝し、チャンピオンシップで敗れて2位。リーグ戦が通年制になったこの2005シーズンで初優勝を目指していたが最終的に2位で終わった。
リーグ戦の悔しさを晴らそうと、天皇杯はギアを上げて臨んだ感じがした。5回戦でFC東京を、準々決勝で川崎フロンターレをいずれも完封で下し、この準決勝に臨んだ。レッズとして天皇杯準決勝にはそれまで3度出場して、3度とも敗れていたが、4年ぶり4度目の挑戦となったこの年、初めて元日国立決戦への出場を決めた。
15時から始まった試合なので、90分が終わるころは暗くなり、寒かった。大宮に追いつかれたのは89分。2-1で終わると思っていた僕は、「ふざけんなよ!」と思った。何に対してなのかよくわからないが、やっと寒い場所から解放されると思っていたのに、まだ室内に戻れない。前々年までは天皇杯もVゴール方式だったので早く終わる可能性もあったが、それもなくフルに30分間ゴール裏に座っていなくてはいけない。
だったら、延長に持ち込んだことを大宮が後悔するくらい、いっぱい点を取ってやれ、と思っていた。95分に山田暢久が、102分に長谷部誠がゴールし、大宮には延長に入ってほとんどチャンスを作らせなかった。
初めて天皇杯ファイナリストになったこととは別に、この日はもう一つ喜びがあった。
同じ国立で、11時から高円宮杯第17回全日本ユース(U-15)選手権の決勝が行われ、浦和レッズジュニアユースがFC東京U-15深川を2-0で破り、初優勝を決めたのだ。レッズジュニアユースは夏の第20回日本クラブユース(U-15)選手権優勝に続き全国二冠を達成した。国立という大舞台で約1万人の観衆に見守られる中、堂々とした戦いぶりだった。
さあ、僕たちはひと足お先に優勝しましたよ。お兄さんたちも頑張ってくださいね。
山田直輝や高橋峻希、永田拓也、原口元気ら、後にプロ昇格を果たす選手たちが、トップチームとレッズサポーターにハッパをかけているかのようだった。
さて、みなさんは2005年12月29日、何をして何を感じていましたか?
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