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12月23日(1992年) 全国にレッズサポーターの胞子が拡散した日

 今日は試合があった。

 1992年12月23日(水・祝)、浦和レッズは国立競技場でヴェルディ川崎と、第72回天皇杯全日本サッカー選手権の準決勝を行い、2-2の末PK戦で敗れた。

 団体としてのJリーグ=日本プロサッカーリーグは発足したが、リーグ戦が始まるのは翌1993年から。代わってこの年にはプレ大会として、Jリーグヤマザキナビスコカップが行われた。まず10チームが1回総当たりの予選リーグを行い、上位4チームが決勝トーナメントに進み、準決勝、決勝を行うというものだった。
 延長あり、PK戦ありの完全決着方式で、しかも延長はVゴール(当時の名称はサドンデスゴール)制という、緊迫した試合が人気を呼び、翌年のJリーグスタートを盛り上げる絶好の大会となった。

 レッズも試合が進むにつれ、入場者が増えていったが、成績は惜しくも5位で準決勝進出を逃した。仕切り直しで臨んだ天皇杯は、12月5日の1回戦から3試合を勝ち抜き、この日の準決勝へ。相手のヴェルディは、ナビスコ杯優勝チームで、予選リーグではレッズが0-1で負けていた。日本サッカーのレジェンド・三浦知良、武田修宏、柱谷哲二、ラモス瑠偉ら、日本代表選手が居並ぶスター軍団であり、日本一の人気チームでもあった。

 その人気・実力共にナンバーワンのチームに対してレッズは一歩も引かない戦いを繰り広げた。
 31分に武田に先制されたが、36分に広瀬治が同点ゴール。41分に福田正博が勝ち越して、2-1で前半を折り返した。53分にカズに同点ゴールを決められた後は互角の展開で延長に入ってもスコアは2-2から動かず、PK戦は3-4で敗れた。

 この日の入場者は48,000人(当時の公式記録による)。後のJリーグでは不思議のない数字だが、当時は「天皇杯準決勝でこんなに入ったのは初めて」と言われるほどの入りだった。
 レッズサポーターも現在に比べれば少なく、広いスタンドの一部に赤のエリアがあった。しかし、ナビスコ杯を通じて、徐々に増えていったレッズファンがサポーターとして、まとまった応援をし始めたのがこの日だった。

 僕はこの試合を総合テレビで中継してくれたNHKに感謝している。王者ヴェルディに対してひたむきに戦うレッズ。そして数では劣勢ながら、雄々しく応援するレッズサポーター。その姿を画面越しに見た人が感動を覚え、この日全国にレッズファンが生まれたと思う。テレビを通じて浦和レッズの胞子が日本中に拡散して行ったと言える。
 その多くが、翌年レッズサポーターとして、Jリーグの応援をリードしていくことになるのだ。

 ところで当時の写真がないので、トップの写真はこの日から約11か月後の1993年Jリーグ2ndステージ第15節、清水エスパルス戦の国立のもの。1年足らずでレッズの国立はこうなった。

 さて、みなさんは1992年12月23日、何をして何を感じていましたか?

【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。

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