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①清尾→小齋「勘違いの初戦、充実の第2戦」

 小齋くん、こんにちは。
 浦和レッズが初めてACLに出てからもう16年ですね。
 2005年の天皇杯で優勝して2007年のACL出場権を得ましたが、翌2006年にリーグ戦と天皇杯を制覇。まさに日本のチャンピオンとしてアジアに出ていくという、誇らしい気持ちでこの年を迎えました。

 一方、それまでイングランドのプレミアリーグやたまにセリエアなどを見て、いつかこういうチームと真剣勝負の試合をしたいと思ってはいましたが、足もとであるアジアのチームについては、ほとんどと言っていいほど知りませんでした。何回か蔚山現代とか韓国のチームと練習試合をしたことはあったのですが、そのことは記憶から抜けていました。

 果たしてレッズはアジアで勝てるんだろうか。井の中の蛙ではないのか、という不安もありました。
 そして、もっと大きかったのは当然、MDPでもACLのことを載せるわけですが、きちんと相手チームの紹介ができるのだろうか。海外アウェイの取材なんか自分にできるのだろうか、と不安になったものです。

 一つ目の不安は、初戦で解消されました。
 インドネシアのペルシク・ケディリ。
 インドネシアと言えば、ジャワ島とスマトラ島、都市で言うとジャカルタとバリ島ぐらいしか知りませんでした。

 試合はまったく危ないところなしの3-0。正直、拍子抜けしたくらいです。へ? ACLってこんなもんなの? と。
 内容は小齋くんのメモにお任せします。
 ただし昨年、note「あの日のわたしたち」の3月7日にも「アジアがちょろい?と勘違いしたかもしれないACL初戦」という投稿をしましたが、本当に甚だしい勘違いでした。

 もう一つの不安は第2戦で払拭されました。
 最初の海外アウェイが英語圏のシドニーだということも幸いしましたが、クラブがメディアツアーを組んでくれたので、練習や試合へのアクセス、ホテルのチェックイン、チェックアウトなどの手間がほとんどなかったことも大きかったです。 ですが、何より心強かったのは小齋くんとほぼ同行の取材ツアーだったことです。おっと、こんなところでコクる気はないですよ(笑)。
 メーンの目的である取材において、小齋くんが相棒だったことは、ストレスを感じずに仕事をすることができたと思います。

 試合そのものも面白かったですが、一番感動したのはオージースタジアムの入場口に、レッズサポーターが吸い込まれていく様子です。中世ヨーロッパの戦いで、兵士が敵城になだれ込んでいく光景を見るようでした(実際に見たことはないですが)。浦和レッズがついにアジアへ殴り込みをかける、その初戦という感じがしたのです。

 そして、ペルシク・ケディリ戦で「アジアってちょろい?」と感じたのは間違いだったと教えてくれたのも、このシドニー戦でした。これも内容は小齋くんにお任せします。
 僕にとって初めての海外アウェイ取材は充実した2泊3日でした。

 小齋くん。記憶と昔のノートを駆使して書いてくださいね。
 (清尾 淳)

【浦和がURAWAになった2007~清尾&小齋秀樹 往復書簡】は、浦和レッズがAFCチャンピオンズリーグで初優勝した2007年の様子を、当時MDPの編集長だった清尾と、レッズの公式webサイトのライターだった小齋がやり取りする形式で綴っていくものです。今年のゴールデンウイークに行われるACLの決勝まで約2か月、駆け足でお送りします。詳細はマガジンの説明をご覧ください。

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