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清尾淳のレッズ話#264 60台のバス・3千人のバスツアー~2nd優勝の話➁/本気を現実のものにするための行動

 去年まで31シーズン行われたJ1リーグのリーグ戦で、最も試合数が少ないのが、この1999年から2004年までのJ1が16チーム時代の「ステージ」だ。15試合で優勝が決まる、というのは今から考えるとすごく短い。まあ、ある意味、チャンピオンシップに出場するための予選リーグと言えなくもないが。

 さて1993年から2003年までカシマスタジアムでのリーグ戦が1勝10敗というのは数が合わないが、鹿島がカシマスタジアム以外に1996年は秋田で、2001年は国立でレッズ戦をやっているからで、その2試合も負けている。つまりアウェイ鹿島戦は、この2004年の前年まで1勝12敗と惨憺たる成績だったのだ。ちなみに勝った1試合は小野伸二が加入した1998年4月25日。

 ただ、2003年のナビスコ杯決勝で鹿島に勝って優勝して以来、少し風向きが変わってきた。ナビスコ優勝の約4週間後、2003年2ndステージ最終節で埼スタに鹿島を迎えて終盤まで0-2とリードされ、そのままだと鹿島に目の前でステージ優勝を決められるという試合を、永井雄一郎とエメルソンのゴールで同点に追い付き、優勝を阻止した。すると翌年、この2004年の1stステージでは第8節、やはり埼スタで鹿島に勝っている。
 つまりアウェイではないが、直近の公式戦3試合は2勝1分けだったのだ。この良い流れをさらにアウェイでの勝利につなげようと、企画されたのがこの3,000人バスツアーだったとも言える。

 リーグ優勝というものを開幕からクラブもチームもサポーターもずっと本気で狙っていた。
 そう言うと少し語弊があるな。本気で優勝を狙っているのは毎年のことだ。
 リーグ優勝を狙うだけでなく、みんながそれを可能にするような行動をし、かつその行動が功を奏したのが2004年だった、ということだろう。

 Jリーグチャンピオンになったのは2006年だが、リーグ戦の初優勝はこの2004年だ。
 あれから20年。天皇杯出場資格はく奪という、屈辱のシーズンだが、ピンチをチャンスに変えて、Jリーグを獲りたい。
https://www.youtube.com/watch?v=QLFcGgBoASs




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