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4月13日(1994年) 福田正博がJ新記録の1試合4ゴール

 1994年4月13日(水)、浦和レッズは駒場競技場にベルマーレ平塚を迎え、Jリーグ第9節を行い、4-1で勝利した。このシーズン2勝目というだけでなく、4ゴールはすべて福田正博が挙げたもので、1試合に1人の選手が4得点するのは当時のJリーグ新記録だった。

超攻撃重視のベルマーレ

 この年のレッズは、開幕から5連敗のあと第6節ホームのガンバ大阪戦で初勝利を挙げたが、第7節、第8節と再び連敗。1勝7敗、最下位の12位でこの第9節を迎えた。平塚は2勝6敗の11位。レッズが8試合で7得点なのに対し、平塚は12得点。とにかく前へ前への攻撃サッカーで、湘南ベルマーレの“縦の美学”はこのころから始まっているのかもしれない。

 そのため平塚には完封負けが一つもなかったが、失点も23と多かった。つまり「攻撃は最大の防御」を地で行くチームで、失点に頓着しないのだ。正直、見ていて面白いだろうな、とは思った。レッズは7敗のうち一度も相手ゴールネットを揺らさずに終わったのが4試合ある。同じ負けでも、喜びを爆発させる機会がない試合はストレスの溜まり具合が違う。降格制度がなかった時代、この割り切った戦い方もアリだったと思う。

PKで2点、ヘッドで2点

 さて福田の4ゴールだ。
 まず前半6分、福田自身が倒されて得たPKを決めて先制。42分には佐藤慶明が倒されたPKを沈めて2点目。後半3分にFKを長身の佐藤がファーで折り返したのを頭で決めた。最後は後半37分、CKからこれも頭で決めた。
 試合中、Jリーグの1試合個人最多得点記録であることは知らなかった。とにかく勝利が欲しかったし、前半PKで1点失っており、後半早々に3-1にはなったが、本当に平塚は前に前に出てきたから全く安心はできなかった。
 僕は、4-1になって「ああ、これで5分に1点ずつ取られても勝つな」と弱者のメンタリティーを発揮していた。
 もちろん、次のMDPでは4回のGET GOALを特集した。

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初の記念Tシャツも発売

 連敗中の勝利は、経験はないが、まるで砂漠でオアシスを見つけたような気持ちになる。特にエースの福田の4ゴールは1994年の中では金字塔クラスの喜びだった。ちなみにクラブは記念Tシャツを発売した。赤白二種類で、僕も赤を買った。写真は、ポラス社内後援会「RED POLUS STAR」会長、関根健太郎さん所有のもの。
 レッズがポジティブな記録達成で記念グッズを作ったのは、これが初めてではなかったか、と記憶している。

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 ちなみに1試合個人最多得点は翌1995年5月に5ゴールが飛び出し、記録を更新されるが、達成したのはベルマーレ平塚の野口幸司だった。野口は福田が4点を挙げた、この試合にも出場しており、ベルマーレのチームカラーと共に、縁を感じる。

 現在、J1での1試合個人最多得点はこのときの5ゴールのままだ。レッズから6得点を挙げる選手が出ることを願っている。

 さて、みなさんは1994年4月13日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
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