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11月28日(2004年) 最先端の意識示す「GO TO Asia」
2004年11月28日(日)、浦和レッズは埼玉スタジアムにサンフレッチェ広島を迎えて、J1リーグ2ndステージ第15節(最終節)を行い、1-0で勝利した。すでに第13節で2ndステージ優勝を決めていたレッズは、その後2連勝。横浜F・マリノスとのチャンピオンシップに向けて、良いはずみになった。
一瞬、なに? と思った。
3年ぶりに最終節がホームで勝利に終わり、気分良くチームが場内一周に歩き始めたとき、北のゴール裏スタンドに文字が浮かび始めた。
「GO TO Asia」
試合後のビジュアルは珍しい。この日試合前はユニ旗が広がっただけだった。英語自体は簡単だが、意味するところが何なのか、すぐには理解できなかった。
試合後→次の試合→チャンピオンシップ→Jリーグ優勝→ACL…。そういうことか!
ことわっておくが、「→」にそれぞれ何秒もかかったわけではなく、ACLにたどり着くまでは一瞬だった。
僕はこの写真を一つの歴史的な証拠として残しておきたい。浦和レッズのサポーターが早くからアジアを意識していたという証拠だ。
実際に出場するのは2007年になったが、サッカーである以上、最高峰は日本でなく世界。世界の前にアジアを制覇しなくてはならないという気持ちはJリーグスタートの時期から持っていたが、その入り口に手が掛かったのはこの2004年が初めてだった。
それまで、前身のアジアクラブ選手権やアジア・カップウィナーズ・カップを含めて、日本ではアジアの大会があまり重視されていなかったという記憶がある。平日の試合ということもあるが、入場者は数千人で、Jリーグよりも人気がなかったことは間違いない。
そんな中、「待ってろマリノス」でも「チャンピオンシップ制覇」でもない「GO TO Asia」。一度もリーグ優勝をしたことがないレッズだったが、サポーターの意識は最先端を行っていたのではないだろうか。
ところで僕の記憶では、ビジュアルサポートで、模様ではなく文字を書いたのは、この日が2001年10月13日の埼スタこけら落とし以来2度目ではないかと思うのだが、どうだろうか。
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さて、みなさんは2004年11月28日、何をして何を感じていましたか?
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