11月19日(2000年) レッズの一番長い日、かもしれない
浦和レッズ30年の中で「覚えている日」を挙げてもらうと、トップ5に入るのではないかと思われるのが今日だ。
2000年11月19日(土)、浦和レッズは駒場スタジアムにサガン鳥栖を迎えて、J2リーグ第44節(最終節)を行い、2-1でVゴール勝ちした。この勝利でレッズは3位の大分トリニータを勝ち点1上回り、2位で来季のJ1復帰を決めた。もし延長で点が入らず引き分けに終わっていたら、大分と勝ち点81で並び、得失点差で1下回って3位になっていた。そうなれば、レッズはどうなっていただろう。恐ろしい「タラレバ」トップ5に入るな。
気持ち良く晴れた日だった。
ここ3試合を3連勝とラストスパートを掛け、2位の座を守ってきた。
相手の鳥栖は、7月にアウェイで負けた相手だが、昇格レースからは外れている。
まさに「昇格日和」だった。
対して一抹の不安もあった。
ここ3連勝のうち一つはVゴール勝ちで、勝ち点1を落としていた。それがなければ最終節を引き分けでも大分に並ばれることはなかった。この疵が大きな痛手にならなければいいが。
妄想だが、鳥栖は同じ九州勢の大分昇格をアシストするため、がんばるのではないか(反対かもしれないが)。
昨季、最後はアビスパ福岡との順位争いに負けた。今回も同じ九州勢の大分との争いだ。
ネガティブな発想が自然に浮かんでくる、そんな朝だった。
そのネガティブシンキングを吹き飛ばしたのは、コールリーダーのひと言だった。
「おい、2万人!」
おぅ!
「そりゃ、2万人の声じゃねえだろ!」
いかりや長介のようなセリフで、駒場は笑いに包まれ、嫌な緊張感がなくなった。同時に「2万人」というのは自分たちにも呼びかけているんだと、メーン、バックの指定席サポーターの闘う気持ちが高まった。
1シーズンの苦しい闘いの成果を今日出そう。それのためにみんなが全力を出そう。
駒場に来るときに緊張のあまり吐き気を催したと後で明かしてくれたコールリーダーの第一声(第二声?)で駒場が一つにまとまった。
試合はレッズペースで前半を終えた。大丈夫、これなら勝てる。
誰もがそう感じ、それは後半開始早々のアジエルのゴールで確信に変わっただろう。だが…。
52分、レッズゴール前に上がったボールをGK西部洋平とDF西野努が“競り合う”形になり、こぼれたところを鳥栖のルチアノに蹴り込まれた。1-1の同点。だがその前までの展開を見れば、まだ心配はなかった。
しかし、その後カウンターで抜け出し、西部と1対1になる鳥栖FWを、室井市衛がファウル覚悟のスライディングで倒した。場所はエリア内。室井は一発退場。2万人が青ざめた。
しかし、そのPKをキッカーのルチアノがゴールポストに当て、跳ね返りを再度蹴る反則。ビハインドになるピンチは免れたが、10人対11人で30分近くを戦わなければならない。その劣勢をサポーターも含めた力ではねのけて延長へ。大分が大宮に勝ったという情報が入ってきたから、引き分けは許されない。延長前のインターバル、駒場は重苦しい空気に包まれた。それを一変させたのは岡野雅行。延長前半から投入される岡野は「このムードを変えるために何かしなければ」という思いで、ピッチを全力で走り出した。タッチラインからタッチラインへのシャトルランだ。その姿に駒場が沸いた。誰もが再び闘志を前面に出した。
そして延長前半5分、相手ゴール右でFKを得たレッズは阿部敏之がキック。ボールは壁に当たり、逆サイドの土橋正樹の近くへ。ワントラップして左足で蹴ったボールは絶妙の軌道を描いて鳥栖ゴールに吸い込まれた。
Vゴール勝ち。来季、レッズはJ1で戦うことが決まった。
早朝の並びから、試合後の片付けまで長い一日だったが、試合自体も非常に長く感じた。
短くまとめるのはもったいない日だ。僕は「11.19」だけで1冊の本を書く自信がある。
さて、みなさんは2000年11月19日、何をして何を感じていましたか?
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。
https://note.com/saywhoand/m/mbee1347b6888
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