3月13日(1999年) この年導入されたJリーグの引き分け制、適用第1号に
1999年3月13日(土)。
浦和レッズはJリーグ第2節をアウェイで戦い、ジェフユナイテッド市原と0-0で引き分けた。このシーズンからJリーグに引き分け制が導入されたのだが、その適用第1号の試合になった。
6シーズンの完全決着方式を経て
1993年から6年間、Jリーグは「完全決着方式」だった。
90分で同点の場合は30分の延長戦をVゴール方式で行い、延長で点が入らない場合はPK方式で勝者を決める。年によって勝ち数だけで競ったり勝ち点制になったり、さらに勝ち方によって勝ち点の配分が変わったりと違いがあったが、必ず勝負がついた。
それがPK戦がなくなり、延長を含めた120分戦って同点の場合は引き分けで両者に勝ち点1が与えられるというレギュレーションになった。
埼玉スタジアムをホームにしてから、浦和レッズはJリーグ開幕戦がアウェイになるよう事務局に要請している。シーズンチケットホルダーの数が多くて、チケットが開幕までに届かない可能性があるからだ。しかし駒場がホームだった1990年代は、96年から99年まで4年連続ホームで開幕を迎えた。この年は開幕戦でガンバ大阪に勝利し、幸先の良いスタートを切った。その第2節がアウェイ、市原臨海競技場(現在ゼットエーオリプリスタジアム)での市原戦だった。
試合は市原がやや押していたかもしれない。レッズは多くのチャンスを作れなかった。延長に入って市原に決定的な場面を作られ、ゴールネットを揺らされたが、ファウルがあったとしてノーゴール。結局120分を終えて0-0だった。第1節、第2節でほかに引き分けはなく、この市原ー浦和戦がJリーグの引き分け第1号になった。
1stステージ最多の4試合引き分け
引き分け制度の導入は世界標準に一歩近付いたことになるから歓迎だった。前年はPK戦で勝っても勝ち点1しか得られなかったので、PK戦までやる意味がほとんど感じられなかった。
ただレッズの引き分けはこれだけではなかった。1stステージ15試合のうち引き分けが4で断トツに多かったのだ。4試合のうち、1つでも延長で勝っていれば、この1999シーズンの結果は変わっていたのだが…。
さて、みなさんは1999年3月13日、何をして何を感じていましたか?
※【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。
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