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4月23日(1997年)「博多は広瀬」の大チャント

 1997年4月23日(水)、浦和レッズはアウェイ博多の森球技場で、アビスパ福岡とJリーグ1stステージ第4節を行い、3-0で勝利した。

 この前年Jリーグに昇格した福岡は、そのシーズン16チーム中15位。厳しい成績だったが降格制度はなかったので97年もJリーグだった。
 と、エラそうに言っているが、Jリーグ初年度と2年目に降格制度がなくて助かったのはレッズも同じだ。

 福岡はこの年も苦しい滑り出して、Jリーグの前に行われたヤマザキナビスコカップ予選リーグは3分け3敗で敗退。4月12日に開幕したJリーグでも3連敗。公式戦9試合勝ちなしで、この4月23日の浦和戦を迎えた。

「連敗ストッパー」期待されたか

 一方レッズは、ナビスコカップ予選は2勝4分けで突破したが、Jリーグでは開幕戦に敗れ、第2節の清水戦はアウェイで勝ったものの、第3節つまり前節は、ホーム100試合目の記念試合でサンフレッチェ広島に負けていた。だから公式戦9試合で3勝しかしていない。福岡とは前年ホーム、アウェイとも勝っているが、3月のアウェイは延長Vゴール勝ち。9月のホームでは延長PK勝ちと、90分で勝った試合はなかった。
 さらに、この前年のレッズは、開幕から17連敗した京都パープルサンガに初勝利を献上したという、「実績」があった。福岡サポーターはレッズがまた「連敗ストッパー」になることを期待していたかもしれない。

礒貝洋光のレッズデビュー戦

 この試合では、福田正博がリーグ戦では前年5月以来の出場。ナビスコカップ6試合には全て出場していたが、その後ケガでリーグ戦を欠場し、この第4節福岡戦でシーズン初出場となった。


 その福田が66分に退き、交代で入ったのが、この年加入した礒貝洋光だった。
 前年まで2シーズン半レッズに在籍したドイツ人パサー、ウーベ・バインが退団したことで、彼に代わるゲームメーカーとして、「鳴り物入り」でガンバ大阪から移籍してきた礒貝だったが、故障のためシーズン開幕に間に合わず、ナビスコカップ6試合とリーグ戦3試合を欠場。これがレッズデビューとなった。
 礒貝のパスから福田が点を取るところを期待していたので、この2人が入れ替わるのはどうにも残念だった。ただ、この日はそもそも福田がFWではなく、岡野雅行、大柴健二の2トップの下でパス役に徹していたのだから、ポジション的にはうなずける交代だったのだが。

1年前の再現! ゴール裏は歓喜

 試合の得点経過だが、前半25分にCKからギド・ブッフバルトがヘディングで先制し、優位に試合を進めた。そして後半7分、福岡ゴール正面の良い位置でFKを得ると、蹴ったのは広瀬治。相手の壁を越えてゴールに突き刺さった。

 前年の3月20日、1996年の「あの日」を覚えているだろうか。広瀬が博多の森球技場で福岡を相手に、同点ゴールとVゴールの2点をいずれもFKから直接決めた試合だ。
 
 今回は1点だけだったが、同じ場所で2年連続得意のプレーを披露したベテランに、歓喜したゴール裏のレッズサポーターは即興のチャントで賛辞を送った。

「博多は広瀬!」
 広瀬本人も、自分がゴールを決めただけでなく、サポーターがそういう反応を示してくれたことに「ああ、覚えてくれているんだな」と喜んでいた。

夜の博多はどうだったのだろう

 この試合では終盤、礒貝が岡野のクロスから駄目押しの3点目を決めた。期待の移籍選手がレッズデビュー戦で初ゴールを挙げたのだから、もっと印象に残っていていいはずだが、「博多は広瀬」にすっかり持って行かれた形だ。

 リーグ戦シーズン2勝目であり、福岡から3度目の対戦で初めて完全な勝利を挙げて、最高の気分だった。この日の中洲や天神はレッズサポーターで遅くまで賑わったのではないだろうか。
 僕もそうしたかったが、3日後の土曜日にホームゲームがあり、その晩はほぼ徹夜に近い仕事で、しかも翌朝一番の飛行機で帰らなければならなかったので、お酒を飲むのを我慢して涙を飲んだ。
 
 さて、みなさんは1997年4月23日、何をして何を感じていましたか?

※この内容はYouTube「清尾淳のレッズ話」でも発信しています。映像はありませんが、“ながら聞き”には最適です。
【あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~】は、レッズサポーターのみなさんから投稿を募っています。浦和レッズ30年の歴史をいっしょに残していきましょう。詳しくはマガジン「あの日のわたしたち~浦和レッズ30年~」のトップページをご覧ください。



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