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20周年
アニバーサリーですね、という言葉がプレゼントに添えてあって、初めて気がついた。
20年前の2005年2月20日、僕は24年間勤めた埼玉新聞社を退職し、フリーで仕事を始めた。つまり、きょう2月21日は僕の独立記念日であり、今年は「the 20th anniversary」というわけだ。
フリーのライターには、一人でやっていても、事務所を持っている人がいる。僕も何か欲しいなと思い、名前を一文字を取って清風庵という個人事務所にした。いわゆる個人事業主というやつだ。今は株式会社にしている。
事務所の名前には少しこだわった。清風。清らかな風というのは自分のイメージには合わないと思ったが、当時嫌なことが周りで起こっていたので、せめて自分だけはその流れに立ち向かっていこうと「風」を入れることにした。
「砦」という字を使って清風砦(せいふうさい)にしようかとも思ったのだが、梁山泊を気取っていても高求に抗う人が何人いるのかわからないし、集まってくる人の面倒を見られるわけでもないからやめた。
清風「荘」だとモロにアパートに間違えられるから、ひっそりとしたイメージがあって、前から好きだった「庵」にした。これはこれで「そば屋ですよね」とからかわれるネタになったが。
会社が嫌で辞めたわけではないし、もちろんクビになったわけでもない。
レッズがMDPの編集を埼玉新聞社に委託するのを止めてクラブが管理する。フリーになるなら清尾に委託する。そういう提案を受けたので、MDPの編集を選んだ。
上司は「大丈夫なのか? それでやっていけるのか?」と僕の行く末を心配してくれたし、「いっそレッドのスタッフに雇ってもらったらいいんじゃないか」とも言ってくれた。会社が請け負っていたMDPの仕事をそっくり持って行くという、顧客を何人か連れて独立する美容師みたいな立場だなと自分で思ったが、そんな僕をそこまで心配してくれて、意気に感じないはずがない。辞めるにあたって、溜まっていた丸2年分の有給休暇は一切取らなかったし、たぶん100日分ぐらいあった土日休日出勤の代休も全部放棄した。今まででもこれからも、埼玉新聞社には写真でも記事でも自分ができる協力は何でもするようにしている。
不思議なもので、去年の今頃は「そうか、今年は独立20年目だな」と感慨深かったのだが、今年は本当にすっかり忘れていた。
というのも、年明けから臨時の仕事がポツリポツリと舞い込んできて忙しかったからだと思う。最近も、本来なら3月2日の柏戦と8日の岡山戦のMDPにかかりきりのはずが、断れないところから結構ボリュームのある仕事を頼まれ、並行してやっていたところへ、昨日は別のところから急な仕事を仰せつかった。ギリギリになる前にやってしまおうと、予定を変更してそちらを夕方までに仕上げたのだが、当然しわ寄せはある。少し嫌になっていたところへ、今日のアニバーサリープレゼントが届いた。
独立した当時、希望と同じくらい不安も抱えていた。MDPの仕事だけでやっていけるのか。会社の設備やいざというときにバックアップしてくれる仲間がいなくて大丈夫なのか、と。
やれる仕事があったら、なんでもやろう。仕事が多すぎてブーたれるなんて、自分にはありえない。そう思っていた20年前。
あのときの気持ちに立ち返らせてくれた、素晴らしいアニバーサリープレゼントだった。
明日は独立20周年、最初の試合。勝手にアニバーサリーゴールとクリーンシートを期待している。