1月31日(2006年) 二度目のお別れ
2006年1月31日、浦和レッズの森孝慈ゼネラルマネジャーが退任した。
2001年末の就任から4シーズン、レッズを根本的に強化するために、トップチームの監督、コーチ、スタッフ、選手の陣容を立て直し、さらにはアカデミー部門を改革し、レッズの中心選手を育成するものに変えた。
その成果は徐々に実を結び、トップチームでは2002年のヤマザキナビスコカップ決勝へ初進出したのを皮切りに、翌年は同大会優勝、2004年はリーグ戦2nd優勝、2005年の天皇杯優勝と、過去10年間とは見違えるような躍進を遂げた。その10年間には森さん自身が監督として指揮を執った2年間も入っているので、失礼な言い方になるかもしれないが。
またアカデミーでは、2002年のスカウティング活動でジュニアユースに入ってきた選手たちが中学3年生となり、2005年の日本クラブユース選手権と高円宮杯全日本ユース選手権の全国大会二冠を達成するなど、こちらも明らかな成果を見せ始めた。
トップチームは2年連続リーグ戦2位という、晴れがましくも悔しい成績をあと一段押し上げるシーズンだし、翌2007年には初のACL出場も決まっている。若芽から樹に育ったアカデミーの選手たちの何人が3年後にプロ選手という果実になるか、という大事な時期を迎えている。
「わし、今月で辞めるから」
そう聞いたのは、オフが開けて初めて大原でお会いしたときだったと記憶している。
なぜですか、と聞く僕に
「もう、ええじゃろ」と笑うだけで理由については聞かせてもらえなかった。
良くないですよ、大事なのはこれからじゃないですか、という言葉は出せなかった。そんなことはわかった上での決断なのだろうということは想像がついたからだ。
人づてに聞くのではなく、直接話してくれたことをありがたく思うしかなかった。
GMとしての森さん最後となるこの日、大原で選手、スタッフとの写真を撮らせてもらった。
いま思えば、これが森さんとの二度目のお別れだった。
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