いじめを受けながらも、学校に通い続けていた女性が、救いになっていたもの
こんにちは!さゆりです!✧︎
今回から、社会や学校、家庭の中など様々な場面で「生きづらさ」を感じながら生きてきた当事者の方へのインタビュー記事を発信していきたいと思います✍
今回は、中学校でいじめを受け、家でも母親の虐待などから、「学校にも家にも居場所が無かった中でも唯一の救いがあった」と語る、咲良さん(仮名/20代)にインタビューしました!✧︎
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辛かった中学時代のいじめ
-咲良さんが、学校の中で行きづらさを最初に感じたのはいつでしたか?
中学校に入ってすぐです。
同級生にすごくガタイのいい女の子がいて
その子にいきなり背中をバシーンと引っ叩かれて、そこから私に対するいじめが始まりました。
クラスでありもしない変な噂を立てられたりとか、グループで出かけたときに明らかに私だけ仲間はずれにされたりとか、あと私は風紀委員をやっていたのですが、委員の仕事でチャイムが鳴り終わるまでに席についていない生徒がいたら黒板に名前を書かなきゃいけなかったんです。 その仕事をするたびに「なんでこんなことしてるんだよ!」と罵倒されたりもしました。
委員として当たり前のことをしていただけなのに、どうして?と思ったし、そういうことが中学1年生の一年間、ずっと続いていました。
クラス替えをするタイミングで、私と母親、当時の担任の先生とで話し合いをして
「自分のことをいじめてくる同級生とは、クラスを離してほしい。」と頼んだことがありました。
そのおかげで、2年生になったクラス替えでは、無事にいじめてきた同級生たちと離れられたのですが、安心したのもつかの間、新しいクラスでもいじめはまた始まり、結局、中学三年間はずっと嫌がらせを受け続けながらも学校に通っていました。
私は3年間全部委員会に入ってたのですが、
それはただ単に好感度をあげるためではなくて、委員会の仕事が好きだったからなのに
それが、同級生から見たら鼻についたらしくて、「あいつって、変だよな」みたいな感じで噂をことあるごとに広められて、ずっと生きづらさを感じていましたね。
-辛かったですよね…。
当時は、それこそ保健室登校とか、そういうのもなかったので、とにかく苦しかったし辛かったです。もしそういうところがあったら駆け込んでいたかなと思いますね。
-いじめられていた時、親とか先生とか、まわりの大人はどういった対応でしたか?助けになってくれましたか?
1年生のときの担任の先生は、
すごく親身になって助けてくれたんですけど、
やっぱり全体的に言えば向き合ってはくれなかったですね。母親も厳しい人だったので、「いじめられているのは、お前にも原因があるからだ。」と助けてもらうどころか責められる毎日でした。
学校には正直行きたくなかったけど、行かざるを得なかった。といった感じでしたね。
唯一救いになっていた委員会活動
-その時の心境は、どんな感じでしたか?苦しみながらもずっと学校に通っていたと思うのですが...。
とにかく怖かったです。校門をくぐって教室に入るまでの瞬間とか特に
「今日は一体何をされるんだろう」とか、
もう毎日頭の中でぐるぐるしていました。
本来ならもう帰りたいぐらいだったんですけど、いるしかないかな..っていうのがあって、なんとか耐えていました。
でも、そんな中でもなんとか学校に通えていたのは、唯一救いになっていたことがあったのもあります。
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