#12 対話は続くよ、どこまでも〜わたしたちの民主主義/『選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記』特別企画
4月17日(日曜日) @大阪・京橋駅
参議院選挙が近づいたことで、小川淳也さんの青空対話集会は週末ごとに各地方で行われるようになっている。今回は大阪で初めての青空対話集会。最初に言ってしまうと、この日は小川さんも驚くほど挙手して発言する人が続き、活発に意見が申し述べられた。全体でどれぐらいの方がその場にいらしたのかは分からないが、質問者は21名に及んだ。
しかし、小川さんは次の予定が決まっていたとかで時間が限られていて、最初に全員の質問やお願いを聞き、後からまとめて答えるという変則方式に。残念。それでも、大阪、すごい! 熱気むんむん! というか、それだけ大阪の方々が今、切羽詰まっているということかもしれない。言わずにおられない、尋ねずにはおられない。そんな状況なのかもしれない。
コロナ時代、「カジノに1600万人来場」は見込めるか
それで、まず、小川さんが話す前に、大阪府議会議員の野々上愛さんが、今、大阪で大きな問題になっているカジノ(IR)のことを話した。普段カジノの問題は東京にいるとどうも遠い出来事のように感じてしまうので、ここに野々上さんの言葉を載せておきたい。
「『大阪にカジノが来たらうれしいな』という人いますか? 『やっぱり、ちょっと心配。楽しみやけど、不安』これが、みなさんの今の素直な気持ちだと思います。IR総合リゾートの中のカジノの問題。『どないなってんねん?』ですよね。
先月終わった大阪府議会、市議会で、IR議案の質疑が全て終了してしまい、手続きは国に送られてしまいました。送られた通達はやはりとんでもないもので、そのまま通されたら困るので、今、私たちは『大阪にカジノはいらない』という運動をしています。
カジノ誘致計画はそもそも2025年の『大阪関西万博』が開かれるので、インフラ整備のために先にカジノに来てもらって、道路とか鉄道とかの整備費を負担してもらったら『お金が浮くやないか?』という話でスタートしました。
2024年にはオープンするのがいちばん最初の計画だったのが、今、いちばん早くて2029年にオープンとされています。となれば万博が始まって、その横でトンカントンカン工事をやってることになる。前提条件が変わってます。そこにきて、コロナです。一か所に人を集めて行うカジノ事業はポスト・コロナの時代に、大阪の成長の起爆剤になるのか?
計画ではコロナの前では年間2500万人集まるとしていたIR事業で、カジノへは600万人が集まるとしていました。ところが、修正案ではコロナ後のカジノへは年間1600万人が集まると、数字が上滑りしています。
コロナの後にユニバ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)より8分の1の広さのカジノへ、人が1600万人来ると計画している。この時点でおかしい。『もうかりまっせ』と言いますが、その実、売り上げの大半の対象を外国人観光客から、大阪の庶民、日本人に計画が変節してもいます。これは国でもしっかりチェックしてください、小川さん!」
こんなことになっていたのか、カジノ計画。私にはとんでもないように聞こえるが、それでも計画を止められないのは、いかにも「決めたら戻れない」という”インパール作戦”( 太平洋戦争で最も無謀といわれる日本の軍事作戦。4カ月で戦死者はおよそ3万人、傷病者は4万とも言われている)から変われない、日本の政治の「決めたら最後まで遂行してしまう」という悪しき姿を見るようだ。
「覚悟ありますか?」
さて、それでは質問。これは!と私が面白く感じたものは長めに、それぞれ見ていきます。小川さんが「こんなに手が挙がる地域は日本中でここだけです、感動しています」と言ったほどで、活気あふれる空気が画面ごしからも伝わってくるし、質問それ自体がバラエティに富んでいて、面白かった!
「姿の見えない」政治家に興味をもつなんて難しい
……さて、ここまでの質問、たいていはこれまでも質問されてきたもので、小川さんの答えもこれまでの青空集会で答えてきたものとほぼ同様なので割愛させていただく。
それで、私には質問というか、夏の参院選の候補者に「覚悟はありますか?」と問うた質問8の方がすばらしく思えた。候補者の石田さんはその場で「あります!」と即答したが、質問した方はときに声を大にしてふるわせ、必死の思いで言っているのが伝わった。この問いかけ、間違いなく、候補者に伝わっているはずだ。
そしてこの問いかけ、今このコロナと戦争と円安と不況で目の前がまったく見えない中、すべての政治家に私たちが問いたい言葉じゃないか?と思う。私も問いたい。すべての政治家に。あなたは、私たちといっしょに地べたをはいずりまわって活動してくれますか? その覚悟がありますか? あるなら見せてくださいよ! あなたは公僕として市民のために働きたいと政治家になったんでしょう? ならば泥まみれになって、私たちの生活を建て直してくださいよ! 頼みますよ! って、私も声を震わせ、時に声を大にして、言いたい。問いたい。
いや、もちろん、一生懸命にやられているのでしょう。毎日、国会も今は開かれている。私はたまたま先日、取材のために国家議事堂の中にいた。ちょうど参議院本会議が終わった直後で、「あっ!」と思う顔を見知っている議員の方々が忙しそうに歩いていた。でも、その、忙しそうな様子、なかなか私たちに伝わらない。どうして伝わらないんだろう? どうして私たちと国会議員の間には越すに越せない川みたいのが流れているんだろう? どうしてその姿が見えてこないんだろう?
私たちが国会中継とか見ないから? でも、テレビで国会中継なんてほとんどしてないし。していても昼間だから働いていたら見られないし。夜中にたとえば「今日の国会です」といって、コンパクトにまとめたダイジェスト放送でもやってくれたらいいのに、そんな番組は誰も作ってくれない。選挙に行かない、政治に興味を持たないと私たちはいつも責められるけど、でも、国会議員の姿があんまり見えず、熱意も感じられなかったら、そりゃ、興味を持つなんて難しいだろう。
こーんな顔して迫ってきてくれたらいいのか? ↓。
さて、質問の続きです。
……本当に切実な質問が続いた。
大阪の方々の気持ちに共感する。
主権者は”蚊帳の外”な政局ゴシップ
それで質問11、報道の透明性について。小川さんはこう答えた。
「こんな経験がありました。国会で5分だけ質問をしました。当時の農林水産省の政務官が路上でチューをしたんです。アホみたいな話です。しかし、それも不問に付せないんです、大事な時でしたから。それで、そのことを不謹慎ではありませんか?とお尋ねしました。そしたら、まぁ、ニュースが、そのことだけやるんですね。それで香川に帰りましたら、小川さん、あんなこと国会で聞くことか?とずいぶん地元の有権者に責められたんです。いやいや、社会保障について1時間、質問したんですよ、そのうちの最初の3分、5分だけ「不謹慎だ」と言っただけですと申し上げたんですが、ニュース番組も情報番組もどちらかというと面白おかしいことを先行しがちですね。それを改めていかないといけないと思う一方、そういう報道の視聴率が高いんだと思います。
結局、投票に行く行かない、どういうものを見る見ない、政治も報道も、私たち主権者が総体として作りあげているものなんだろうと思います。社会が変わる、政治が変わる、報道が変わる、それは我々が総体として変わっていくことと、お互いに手を携えながら変わっていかないとなりません」
↑これ、また、前半に書いたことに通じる。私たちが変わらないとならないなら、政治家も変わってほしいし、メディアにも変わってほしい。
メディアの偏向報道は最近よく言われるけれど、その前に私は日本の政治報道に目立つ「政局話」が嫌いだ。いつも思うのは、そこには私たち主権者が入る余地がない。安倍さんがどうして麻生さんがこう絡み、だから岸田さんがどうだ。立憲の中ではこういう人たちがこうしてああして。いや、もちろん、政治は人間がやり、人間関係が大事なんだろうけど、そればっかりが前面に出てくる報道には、政治とはまったく私たちとは関係ないところで動いているものだという感覚が生じる。
政局中心の政治報道こそ、私たちを政治から遠ざける原因じゃないか?ってまで思うこともある。もちろん政局が好きだという人もいて、でも、そういう人は元々政治に関心がある人で、政治に関心がない人からしたら、たとえば登場人物たちが韓国ドラマ『ミセン』の人たちみたいに魅力的なら、もしくは、政局を語る人の力量で、それぐらい(ミセンのキム代理みたいとか💛)に魅力的に持ち上げて見せてくれるなら、毎週毎週その動向が知りたいです💛となるかもしれないけど、ほとんどがそうじゃない。そうじゃないんだよ、明智君。
そして政局を報じる政治記者たちの立ち位置も気になる。それを報じるとき、政治記者たちはどういう立ち位置に自分を置いてるんだろう? もちろん報じる人だから客観的に自分を消すんだろうけど、でも、あなただって、この国に暮らす一市民だよね? なんでそんなに俯瞰して、市民の目を消して、狭い狭い永田町の中の話だけに狭めているの?って思う。まるで他人事みたいな、その視線に、私たちのことなんて、1ミリも見えてないでしょう?と感じてしまう。政治家との乖離もあるけど、政治報道との乖離も、本当に大きいと思うんだ、私は。
手取り18万で「高級取り」
それで質問21です。最低賃金ではなく、お給料を上げることに政治は関与できないのか?という問いかけ。18万円の手取りで高級取りと呼ばれ、一人暮らしなら家賃でそのうちの6万円は少なくともなくなると質問した方は言う。なんて切実なんだろう。
まず、その家賃のことを考えたい。収入と家賃の対比率では、30%(18万円なら、そのとおり6万円)を超えると危険水域と言われている。それは、生活苦であるという状況に入る。しかし、現実では単身女性の住居費は平均6万1千円で、収入に占める割合は4割にもなるのが今の現状だ。これは私も参加した、横浜市男女共同参画推進協会のヒアリング調査会で発表された数字で、現在、働く単身女性たちの多くが窮地に陥っていることを示している(ちなみに私はそこで、そうした女性たちの代表として、苦しい住宅事情を話した)。
みんな、家賃を払うために必死で、食費を削ったり、ほんとうはもっと安心安全なところに住みたいのに、お金がないために安心をあきらめたりもしている。とても「健康で文化的な」生活など、営めていない。2019年度の国民生活基礎調査によると、相対的貧困率は単身女性で24.5%、母子家庭で25.5%と高い。この質問者さん(女性です!)の問いかけは叫びのようでもあった。
そのうえで、小川さんの返答。
「給料が上がるのは、昭和の時代はそうできました。これからの時代は、そうはいかない時代が長く続く可能性があります。そのときに政府にできるのは、2つあると思うんです。1つは、子育てや教育、医療などの福祉に自己責任と自助努力が求められる自己負担の世の中ですから、社会サービスを限りなく無償で、限りなく安価でみんなが利用できる社会を作ることで、生活コストを下げることができる。そのことで可処分所得をふやす方法です。
もうひとつ、コロナになって国民ひとりに10万円配りました。これはコロナ以前は考えられないことでした。国民に現金をお配りするのは政策ではなかったんですが、コロナになって世界各国がやるようになったんです。いずれは、今日明日ではできませんが、ベーシック・インカムのような形で国民の最低生計を政府が保証していくようなやり方を、これも十分視野に入れて研究をしていかなければならないと思っています。この2通りのやり方ならば、国民の生活を安定させて可処分所得を増やせると考えています」
このことについては私の本『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』でたっぷり話し合っていて、疑問も書いているので、そちらをお読みいただきたい。
ただ、その本にも書いたのだけど、政治家たちの多くの社会保障費の概念は、家族単位だ。社会保障の単位が家族単位では、これから益々増える単身世帯がどうしたって救われないと思う。家族単位の社会保障制度から個人単位の社会保障制度へと変えて欲しい。それは社会保障の世界では「脱家族化」と言われている概念。考えて欲しい。
そして、やっぱり、最低賃金が上がらないと、お給料も上がらないと私は思う。最低賃金、いい加減に上げてください。チマチマと数円単位ではなく、ドーンと数百円単位で。たのんますわ、ほんまに。カジノどころじゃないでしょう? 最低賃金ですよ、まずは。