坂口安吾「眠るべからざる時に、眠りをむさぼる。」
夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話(エッセイ、日記、手紙など)94篇を収録したアンソロジー『〆切本』、続く『〆切本2』から、文豪の作品を13篇、お届けします。師走の忙しさを一時忘れさせる、泣けて笑えてためになる(?)〆切エンターテイメントをお楽しみください。(イラスト:堀道広)
「人生三つの愉しみ」 坂口安吾
私の酒は眠る薬の代用品で、たまらない不味を覚悟で飲んでいるのだから、休養とか、愉しみというものではない。私にとっては、睡る方が酒よりも愉しいのである。
しかし、仕事の〆切に間があって、まだ睡眠をとってもかまわぬという時に、かえって眠れない。ところが、忙しい時には、ねむい。多分に精神的な問題であろうけれども、どうしてもここ二三日徹夜しなければ雑誌社が困るという最後の瀬戸際へきて、ねむたさが目立って自覚されるのである。アア、こんな時に眠ったらサゾ気持よく眠れるだろうなア、と思う。ついにその場へゴロリところがって、一滴の酒の力もかりずに眠れることがある。
眠るべからざる時に、眠りをむさぼる。その快楽が近年の私には最も愛すべき友である。眠るべからざる時に限って、実に否応なく、切実のギリギリというような眠りがとれて、眠りの空虚なものがどこにも感じられないのである。天来の妙味という感じである。子供のころ、試験勉強などの最中にも、同じような眠りはあった。しかし子供のころは、そんな眠りの快楽よりも、ほかの生き生きとした遊びの快楽の方がより親しくて、眠りなどにはなじめない。それが当然なのかも知れない。こんな眠りが何より親しい友だというのは賀すべきことではないようだ。そのバカらしさを痛感することもあるのだ。
(『〆切本』より)
坂口安吾(さかぐち・あんご)
1906年生まれ。小説家。おもな作品に『堕落論』『白痴』『桜の森の満開の下』『日本文化私観』など。本エッセイでは色情・酒・風呂を人間の古くからの愉しみだったとし、「人間は働くことのほかに愉しむことも生きる目的の一つ」と締めくくっている。1955年没。
「人生三つの愉しみ」 一部抜粋 『坂口安吾全集 十一巻』筑摩書房
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「かんにんしてくれ給へ どうしても書けないんだ……」
「鉛筆を何本も削ってばかりいる」
追いつめられて苦しんだはずなのに、いつのまにか叱咤激励して引っ張ってくれる……〆切とは、じつにあまのじゃくで不思議な存在である。夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話94篇を収録。泣けて笑えて役立つ、人生の〆切エンターテイメント!
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「やっぱりサラリーマンのままでいればよかったなア」
あの怪物がかえってきた!作家と〆切のアンソロジー待望の第2弾。非情なる編集者の催促、絶え間ない臀部の痛み、よぎる幻覚と、猛猿からの攻撃をくぐり抜け〆切と戦った先に、待っているはずの家族は仏か鬼か。バルザックからさくらももこ、川上未映子まで、それでも筆を執り続ける作家たちによる、勇気と慟哭の80篇。今回は前回より遅い…
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