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【試し読み】池上晴之『ザ・バンド 来たるべきロック』 「第一章 どうしてぼくは「ザ・バンド」を聴いているのか」

2024年11月6日より、元編集者で批評家の池上晴之さん初の書籍『ザ・バンド 来たるべきロック』を発売いたします。
刊行を記念して、本書の「Ⅰ いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう 第一章 どうしてぼくは「ザ・バンド」を聴いているのか」を無料公開いたします。


【書籍概要】
ルーツ・ロックやボブ・ディランのバックバンドというイメージを覆す、日本初の本格的ザ・バンド論。

【書籍概要】ルーツ・ロックやボブ・ディランのバックバンドというイメージを覆す、日本初の本格的ザ・バンド論。
「音楽を聴くということ」をテーマにしているので、ザ・バンドを聴いたことがない人も、ザ・バンドのコアなファンも楽しめる文章です。
映画『ラスト・ワルツ』のシーン別徹底解説&おすすめのアルバムも掲載。ロック写真家ウイリアム・ヘイムス氏がコンサート「ザ・ラスト・ワルツ」で撮影した幻の写真24点を収載! 
★カバーを裏返すとザ・バンドのポスターになります!

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【試し読み】
Ⅰ いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう  
第一章 どうしてぼくは「ザ・バンド」を聴いているのか

自分の趣味を理解することは可能か
 
「どうしてそんなにザ・バンドに入れ込んでいるんですか?」と若い頃から何度も質問されてきた。経験によれば、そう質問をしてくる人は、たいていザ・バンドをよく聴いたことがない人だ。いや、よく聴いたことがないどころか、聴いたことがない人がほとんどだ。もし、ザ・バンドをよく聴いている人ならこういう質問はしない。多少聴いたことがある人だとすれば、「私にとってはそれほどとは思えないザ・バンドの音楽を、なぜあなたはそんなに評価しているのですか」という、やや批判的なコメントもしくは疑念を表明していると考えてよいだろう。聴いたことのない人の場合は、本人の意図はどうあれ、「あなたは不思議な趣味をお持ちですね」とぼくに言っていることになる。
 詩人のW・H・オーデンは『染物屋の手』というエッセイ集の中で、芸術に関しては四十歳を過ぎるまでは自分の趣味などわからないものだ、若いころの趣味は単に自分の周囲の環境を受け入れているにすぎない、という主旨のことを書いている。
 「二十歳から四十歳の間に、われわれは自分が何者であるかを発見する過程にある。〔中略〕二十歳から四十歳の間で、ある芸術作品について「ぼくは、自分の好きなものはわかっている」という人がいたら、彼は実際には「ぼくは、自分自身の趣味はもっていなくて、自分の文化的環境の趣味を受入れているのです」といっているのだ」(「読むこと」『染物屋の手』中桐雅夫訳)
 ここで注目したいのは、オーデンが「二十歳から四十歳の間」と言っていることだ。誰だって子どもの頃は、周囲の文化的環境を受け入れているに決まっている。クラシックの演奏家や音楽学者は、子どもの頃からクラシック音楽を聴く環境があったに違いない。しかしオーデンは、そのことを言っているわけではない。
 二十歳から四十歳までの間は、自分の趣味が本当に「自分の趣味」なのかどうか自分でははっきりわからない、と言っているのだ。自分のことがいちばんわからない、とよく言うが、本当は自分の趣味だって自分ではわからないのである。
 芸術に関心のある人なら、二十歳から四十歳の間はたいてい自分の趣味に自信を持っているはずだ。ぼくだってそうだった。特に音楽については、自分の好みははっきりしていた。ぼくが好きなのは、基本的に一九六八年から一九七八年までのアメリカのロックとポップスで、クラシックやジャズやイギリスのロックやパンク以降の音楽や邦楽やワールド・ミュージックは自分の趣味ではなかった。
 ところが四十歳を過ぎてライヴでジャズばかり聴くようになり、五十歳を過ぎると今度はコンサートではクラシックばかり聴くようになり、六十歳を過ぎたいまは文楽の太棹三味線が好きになっている。もし友人から「三味線……またどうして?」と聞かれたら、「年のせいか、最近は好みが変わって……」と言えば納得してもらえるような気がする。しかし、オーデンの言うことを信じれば、芸術に関しては、好みが変わったのではなく、ようやく自分の好むものが自分でわかるようになった、ということになる。
 フランスの思想家ミシェル・フーコーが『知の考古学』(一九六九年)の序論で書いているように、「私に誰であるかと訊ねないでもらいたい、私に同じ人間であり続けるようになどと言わないでもらいたい」と答えたい(訳文は神崎繁『フーコー 他のように考え、そして生きるために』より)。

音楽は趣味の問題なのか
 
オーデンの文章を読んだ十八歳の頃には、ぼくはすでにザ・バンド(The Band)というロックバンドの音楽の魅力にとりつかれていた。だがオーデンの言うことはずっと心に引っ掛かっていた。周囲の友人はクラシックを聴いている人が多かった。いろいろ話を聞くと、育った環境に影響を受けているようにも思えた。彼らも自分も、四十歳を過ぎた頃には、本当の自分の趣味がわかるようになっているのだろうか。それ以来、自分の趣味だけでなく友人の趣味についても観察するようにしてきた。
 するとおもしろいことに、大学生の頃からクラシックを聴いていた友人たちは、いまでもクラシックを聴いている。ぼくが好きなタイプのロックを聴いていた知人は、自分が好きだったミュージシャンが次々亡くなりライヴで聴くことができなくなったため、ぼく同様ニューヨークの最先端のジャズ・ミュージシャンのライヴにシフトしていた。聴き始めた時にすでに故人になっていたロック・ミュージシャンの音楽を聴いていた友人は、いまでも同じミュージシャンの音楽を聴いている。アマチュアのバンドを組んでいる知り合いも、学生の頃から聴いている音楽のジャンルが変わらない人が多い。
 ぼく自身はオーデンの言葉を折に触れて思い出し、できるだけジャンルという先入観にとらわれずに音楽を聴くようにしてきた。その結果、いまではクラシックも現代音楽もジャズも邦楽もロックやポップスと同じように楽しむことができるようになった。ところが、いまでもいちばん好きな音楽はザ・バンドなのだ。六十歳を過ぎたいま、本当の「趣味」がわかったと自信をもって自分に言えるようになったわけである。
 もっともぼくの知り合いの中には、音楽を聴かないという人もいる。音楽を聴かないといっても多少は聴くだろうと思って改めて尋ねたら、「いやまったく聴かない」という返事だった。そういえば以前乗せてもらったその人の自動車にはカーステレオがなかった。ぼくがよくジャズクラブに行くという話をしたら、「ジャズクラブにライヴを聴きに行くのは、かなり特殊な人たちという感じがする。普通の人は年に一度行けば多いほうじゃないの。一生行かない人だってたくさんいると思うよ」と言う。そう言われればそうかもしれない。確かにほとんどの人は、そんなに頻繁にジャズクラブには行かないだろう。
 ある時、その人が「とうとうぼくもライヴに行ったよ」と言うので、詳しく話を聞いたところ、それはどうも家族に連れられて行ったホテルのクリスマス・ディナーショーのようだった。本人としては食事が目的で、ショーを見たかったわけではないらしい。しかし、確か布施明だったか、そのショーはすごく楽しかった、とその知人は言った。話もおもしろいし、歌もうまいんだよね、と満足した様子だったので、じゃあ今度はコンサートに行くといいですよ、とぼくがすすめたところ、「いや、もう二度とライヴに行くことはないと思うね」と彼は答えた。
 そもそも音楽を聴くこと自体がすでに「趣味」の問題なのだった。

音楽について語り合うことは可能か
 
知り合った人と何となく音楽の話になったりして、「どんな音楽がお好きですか」と聞かれると、いつも困ってしまう。正直に答えようとすれば、おそらくその人が聴いたことのないミュージシャンの名前ばかり挙げることになり、相手は引いてしまうだろう。ロックとポップスとジャズとクラシックと文楽の太棹三味線です、と思い切ってざっくり答えると、「この人は音楽なら何でもいいのかな」と思われそうで不本意な気がする。
 そこで、ぼくは相手がロックを聴いていそうな人なら、「七〇年代のアメリカン・ロックですね。ザ・バンドとか」と答えることが多い。正確に言えば「ザ・バンドだけ」なのだが、それも変な人と思われそうだし、なぜ「だけ」なのかの説明を求められると、それはいまここで書こうとしている内容を延々口頭で伝えることになり、相手は「ちょっと聞いてみただけなのに……」と困惑するに違いない。
 以前、ジャズのライヴハウスでたまたま隣の席にジャズ評論を書いているという人がいて、知り合いのアメリカ人のジャズ・ミュージシャンからぼくのことを「ジャズ・ファンだ」と聞いたらしく、「聞くところでは大変ジャズがお好きだとか。どんなジャズがお好きなんですか」と問われて、「いや確かにジャズも好きなんですが、クラシックも好きですし……」と口ごもっていたところ、「なるほど。音楽がお好きなんですな。では音楽好きということで」とその人が言い、話はそこで終わってしまった。ジャズ一筋の人は結構いて、そういう人に「クラシックを聴いている」と言うとたいてい嫌な顔をされる。
 クラシックのコンサートで時々会う音楽学者の友人と話すときには、ぼくはクラシックや現代音楽の話しかしない。もしかすると、彼はジャズぐらいは聴いているのかもしれないが、まずザ・バンドは聴いていないだろうと長年のつきあいでわかるし、相手が聴いていないジャンルの音楽について具体的に語り合うことはできないからだ。
 しかし、ロックが好きだという友人と話をするときには注意が必要だ。ぼくはザ・バンドこそロックだと思っていても、その友人は「ロックと言えば、ローリング・ストーンズでしょう。ザ・バンドってカントリーっぽくない?」と言うかもしれないし、また別の友人は「クイーンこそロック。ザ・バンド? 聴いたことないけど、確かボブ・ディランのバックバンドだよね。ディランはロックじゃないよ」と言うかもしれない。友人たちとは音楽のことで関係を損ねたくはないので、「ロックとは何か」という話題は避けるようにしている。

ファン同士で語り合うことは可能か
 
だが、最も注意が必要なのは、相手がザ・バンドのファンだということがわかった場合だ。まずは同好の士に出会った喜びを素直に表現した後、おそるおそるぼくはこう尋ねることにしている。「ちなみにザ・バンドのアルバムでは、どの辺りがお好きですか」と。ここで「『ビッグ・ピンク』ですね」(一九六八年にリリースされたザ・バンドのファースト・アルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』のこと)ときっぱりとした答えが返ってくれば、ぼくは内心で「この人は正統派。いわゆるザ・バンドファンだな」と判断して、ザ・バンドについての一般的な話題を楽しむことにする。
 「やっぱり『ブラウン・アルバム』かな」という答えなら、「この人は結構詳しい人だ」と判断する。一九六九年にリリースされたザ・バンドのセカンド・アルバムのタイトルは『ザ・バンド』なので、ビートルズのアルバム『ザ・ビートルズ』を『ホワイト・アルバム』と呼ぶように、通は『ブラウン・アルバム』と言うからである。ぼくは『ブラウン・アルバム』を好む人が聴いていそうな渋いミュージシャンの話題を出したりして、こちらも通であることを相手にアピールする。この後は、たいていどちらがより渋いミュージシャンを聴いているかという、本質を逸れた自慢話になっていくことが多い。
 直感的に話が通じそうな人だと思った場合には、こちらから先に好きなアルバムを言う場合もある。「ぼくは初期じゃなくて、どちらかというと後期のザ・バンド、特に『南十字星』が好きなんです」(『南十字星』の原題は『Northern Lights -Southern Cross』といい、一九七五年にリリースされたザ・バンド後期のアルバム)と。なぜ、こちらから先に好みのアルバムを伝える必要があるかというと、後期ザ・バンドが好きな人は、初期ザ・バンドを好む人のほうが多いことを経験的に知っているので、「どの辺りがお好きですか」と尋ねても「まあ一般的にはファーストとかセカンドですかね。ぼくはどのアルバムも好きですけど……」とあいまいにお茶を濁してくる可能性があるからだ。
 ここで相手が「いや私もそうですよ。後期のほうが好きです。私は『南十字星』がいちばん好きですね」と合わせてくれればひと安心だ。ファーストとセカンドの初期ザ・バンドがザ・バンドの音楽だという音楽観をもっている人と、『南十字星』『アイランド』『ラスト・ワルツ』の後期ザ・バンドがザ・バンドの音楽だという音楽観をもっている人の間の溝は案外深いからである。
 『ステージ・フライト』『カフーツ』『ロック・オブ・エイジズ』『ムーンドッグ・マチネー』など中期ザ・バンドのアルバムをそれぞれ好む人も少数派だがいる。忌野清志郎は、著書『瀕死の双六問屋』の中で、唯一ザ・バンドのアルバムを二回取り上げ、『カフーツ』については「ハマりましたねえ、ザ・バンドは。〔中略〕「THE MOON STRUCK ONE」という曲はよく聴いていました。アルバムとしては四枚目かなあ。名曲ですね」と言い、「名曲だと思っているのはこの国では俺と仲井戸麗市とあと一人か二人ぐらいだろう」と書いている。50周年エディションの『カフーツ』で聴いてみるとよい。この曲のガース・ハドソンのオルガンは、ザ・バンド全曲中で最も心に沁みる演奏だ。RCサクセションの「雨あがりの夜空に」の歌詞の世界(エンジンがいかれて発車できない、とか、雨上がりの夜空のお月さま)は、「ザ・ムーン・ストラック・ワン」の歌詞の世界(彼女と逃避行のドライヴを始めようとした途端に車が壊れた、とか、月が一時を打った)から着想を得たに違いない。『ムーンドッグ・マチネー』については、「全曲、ロックンロールとリズム&ブルースのカバーなんですよね。ザ・バンド独特の解釈で昔の曲を演ってるっていう。これも当時かなり聴きましたねえ。/えーっと、お気に入りの曲は……全部いいっすね(笑)。流れもいいし。これ聴くと、すごくうまいバンドだというのがわかりますよ。音楽性も独特だしね」と書いている。
 さて、だが『南十字星』というアルバムが好きだというだけでは、まだ本当には安心できない。ぼくは今度はさりげなくこう聞く。「『南十字星』の中の曲では何が好きですか」。そして、この答えが問題なのである。ぼくが好きな曲であればよいのだが、それほどでもない曲の場合には、内心がっかりして、そっけなく「いい曲ですよね」と答える。この人とは、これ以上深くザ・バンドの音楽について語るのは無理だろうと判断したわけである。ぼくはマーティン・スコセッシが監督した映画『ラスト・ワルツ』(ザ・バンドとしての最後のコンサートを撮影した音楽映画)などを話題にして、ザ・バンドというバンドの話を楽しむことにする。
 ぼくが好きな曲だった場合には、それで満足かというと、そうはいかない。相手がいちばん好きな曲としてピンポイントで一曲だけ挙げてきた場合には、単にその曲が好きなだけか、あるいは個人的にすごく思い入れがある曲かもしれないからだ。もし本当に『南十字星』を聴き込んでいる人なら、ピンポイントで一曲だけ挙げることはしないはずだ。ぼくが自説を述べたことで、お互い嫌な思いをすることにならないよう、慎重に探りを入れつつ、その曲のすばらしさを語り合うようにしたい。
 日頃インターネットでザ・バンド関連の情報を検索していると、ザ・バンドが好きだという人にもいろいろな好みがあることが実によくわかる。ブロガーやプロのミュージシャンのコメントなどを読んでも、ほとんどは自分の好みとはちょっとずれている。『南十字星』をいちばん高く評価している人は結構いるのだが、その聴き方は人それぞれで、なるほどとは思うものの、心の底から共感できるコメントはほとんどない。ただ、曲によっては、まさに自分と同じように感じているブロガーやプロのミュージシャンがいて、「そうだ! そのとおりだ!」と内心快哉を叫ぶこともある。しかし、その人が書いた別のコメントを読むと、結局、自分とは「ロック」についての音楽観がずいぶん異なるんだなという感想を持つことが多い。
 この文章では、ぼくがザ・バンドの音楽をどう聴き、どうとらえているのかを書くことによって、なぜぼくが「いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう」と考えるようになったのか、その道筋を明らかにしてみようと思う。

【目次】『ザ・バンド 来たるべきロック』

Ⅰ いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう

第一章 どうしてぼくは「ザ・バンド」を聴いているのか
自分の趣味を理解することは可能か
音楽は趣味の問題なのか
音楽について語り合うことは可能か
ファン同士で語り合うことは可能か

第二章 ザ・バンドは「ロックバンド」なのか
ぼくの「ロック」論争
ザ・バンドは「ロック」なのか
ザ・バンドは「カントリー・ロック」なのか

第三章 来たるべきロック『南十字星』
アルバム『ザ・バンド』は「カントリー」ロックだった
『南十字星』が示す「来たるべきロック」
ザ・バンドの音楽の本質
「来たるべきロック」とは何か
「ロック」と「来たるべきロック」の分岐点

第四章 ザ・バンドをどう聴くか
音楽をどう聴くか
『南十字星』をどう聴くか
音楽を理解するということ
音楽を聴くということ
ザ・バンドのアルバムをどう聴くか

第五章 ザ・バンドを読む
永井荷風の「西洋音楽」事始め
ザ・バンドを「読む」
曖昧さと豊かさが息づいている場所
THE BAND playing THE MUSIC
『南十字星』と「ザ・ラスト・ワルツ」の間にあるアルバム
ロックと詩が交わるところ

第六章 ザ・バンドというバンド
コンサート「ザ・ラスト・ワルツ」を観た人
ライヴを聴いていなければ話にならないのか
「なんだ、レコードと同じじゃないか」とミック・ジャガーは言った
ザ・バンドの本当のライヴ演奏を聴くことはできるのか
空白が奏でる音楽
ザ・バンドのヒット曲を歌えますか?
ザ・バンドはカバーバンドだった
ザ・バンドはディランのバックバンドではない
ザ・バンドというバンド

第七章 三つの声のクインテット
ポスト・アメリカーナの彼方へ
ロビー・ロバートソン――トロントの三味線ギタリスト
ガース・ハドソン――オンタリオ州ロンドンのマッド・プロフェッサー
リチャード・マニュエル――ストラトフォードのリズム・ピアニスト
リック・ダンコ――シムコーの踊るベーシスト
リヴォン・ヘルム――アーカンソーの元祖歌うドラマー
ザ・バンド――三つの声のクインテット

第八章 いつの日か、ロックはザ・バンドのものとなるだろう
映画『ラスト・ワルツ』をどう観るか
共同体としてのザ・バンド
いつの日か、「ロック」はザ・バンドのものとなるだろう
「ハーヴェスト」の祝祭
『ラスト・ワルツ』は終わらない

第九章 「ロック」とは何か、「来たるべきロック」とは何か
ザ・バンド的なるもの
日本人は本当にロックを感じ取れているのか
日本語ロック論争の誤解
「backbeat」と「バックビート」
ロックとは何か
再び「来たるべきロック」とは何か


Ⅱ もう一度『ラスト・ワルツ』を観るために

われわれのアメリカはまだ発見されていない
ミュージカル映画『ラスト・ワルツ』
『ラスト・ワルツ』に至るまで
「ラスト・ワルツ」とは何か
映画『ラスト・ワルツ』のシーン別徹底解説&おすすめのアルバム
① ビリヤードのシーン/②アンコール曲「Don't Do It」/③オープニング/④タイトルバック/⑤ロビー・ロバートソンのインタビュー/⑥ザ・バンド「Up on Cripple Creek」/⑦メンバーのインタビュー/⑧ザ・バンド「The Shape I'm In」/⑨ロニー・ホーキンス登場/⑩ロビー・ロバートソンのインタビュー/⑪ロニー・ホーキンス「Who Do You Love」/⑫メンバーのインタビュー/⑬ザ・バンド「It Makes No Difference」/⑭マイケル・マクルーアの朗読/⑮ドクター・ジョン「Such a Night」/⑯ニール・ヤング「Helpless」/⑰ロビー・ロバートソンのインタビュー/⑱ザ・バンド「Stage Fright」/⑲リチャード・マニュエルとロビー・ロバートソンのインタビュー/⑳ザ・バンド&ザ・ステイプルズ「The Weight」/㉑「Old Time Religion」/㉒ザ・バンド「The Night They Drove Old Dixie Down」/㉓ロビー・ロバートソンとリヴォン・ヘルムのインタビュー/㉔ニール・ダイアモンド「Dry Your Eyes」/㉕メンバー全員のインタビュー/㉖ジョニ・ミッチェル「Coyote」/㉗メンバーのインタビュー/㉘ポール・バターフィールド「Mystery Train」/㉙リヴォン・ヘルムのインタビュー/㉚マディー・ウォーターズ「Mannish Boy」/㉛エリック・クラプトン「Further on Up the Road」/㉜リック・ダンコのインタビュー/㉝ロビー・ロバートソンのインタビュー/㉞エミルー・ハリス「Evangeline」/㉟ガース・ハドソン「The Genetic Method」~ザ・バンド「Chest Fever」/㊱ロビー・ロバートソンとガース・ハドソンのインタビュー/㊲ザ・バンド「Ophelia」/㊳リヴォン・ヘルムとロビー・ロバートソンのインタビュー/㊴ヴァン・モリソン「Caravan」/㊵ローレンス・ファーレンゲティの朗読/㊶ボブ・ディラン「Forever Young」/㊷ボブ・ディラン「Baby, Let Me Follow You Down」/㊸フィナーレ「I Shall Be Released」/㊹ロビー・ロバートソンのインタビュー/㊺舞台を去るミュージシャン/㊻ザ・バンド「Theme from The Last Waltz」/㊼ガース・ハドソン「Greensleeves」

最後に――ロック・オペラ『ラスト・ワルツ』

あとがき

【著者プロフィール】

池上晴之(いけがみ・はるゆき)
1961年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。批評家。編集者として35年以上にわたり医学、哲学、文学をはじめ幅広い分野の雑誌および書籍の制作に携わる。鶴山裕司との「対話 日本の詩の原理」(総合文学ウェブ情報誌「文学金魚」)で、鮎川信夫、田村隆一など「荒地」派を中心に戦後詩を論じている。


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