【試し読み】迷い方を知らないでいるといつか身を滅ぼす。 ─ ─ レベッカ・ソルニット『迷うことについて』第1章
〈マンスプレイニング〉の語を世界的に広めた『説教したがる男たち』でしられるレベッカ・ソルニット。歴史、植民地、砂漠、自然災害、移民……。『ウォークス 歩くことの精神史』『災害ユートピア』などの著作で幅広いテーマを放浪するように取り上げてきた彼女の自伝的エッセイが『迷うことについて』です。本書第1章を公開します。
新型コロナウィルスの世界的な蔓延状況について、彼女は、この災害が何をもたらすのか、これまでの社会が大丈夫なのか、それに対する答えは前もって決まっているわけではない、といいます。「その答えは、私たちが何をするか、起きている出来事をいかに読み取り、この驚天動地の時代にどのように私たちがどう変わるのかにかかっている。災害に対する闘いに、そしてその災害の意味することを定義する闘いに勝利すること。この二つの闘いを切り分けることはできない。新しい秩序は、そこから生まれる」(2020年3月29日、the New York Timesへの寄稿より, https://nyti.ms/2ytBkL5)。
不安と変化のときにこそ、手に取っていただきたい1冊です。
はじめて酔った酒は八歳くらいのとき、ユダヤ教の過越(すぎこし)の祭日に預言者エリヤに供えられていたワインだった。過越の祭では、ユダヤ人のエジプトからの脱出を祝してこの預言者を家に迎える。わたしは大人のテーブルに着いていた。我が家ともうひと家族、あわせて五人の男の子がいて、子どもたちに仲間はずれにされるよりも大人に放っておかれるほうがましだろうと親たちは考えたのだった。赤とオレンジ色のテーブルクロスの上にグラスや大小の皿、銀食器や燭台が雑然と並んでいた。ルビー色の甘いワインが注がれた自分用の小さなグラスと取り違えて、わたしはそばにあった預言者のためのグラスを飲み干してしまった。しばらくして母が様子に気づいたようだった。わたしは体をゆらゆらしながらにこりとしてみせたけれど、それをみた母の形相が変わったので、ほろ酔いの演技をやめて素面(しらふ)の振りをした。
母は信仰を捨てたカトリックで、もうひと家族の奥さんは元プロテスタント、夫たちは二人ともユダヤ教徒だった。子どもたちのためには慣わしどおりにするのがよい、母たちはそう考え、過越の祭ではワインの杯がエリヤに捧げられることになった。伝承によっては、エリヤは世の終末に地上に再臨し、あらゆる答えなき問いに答えるといわれている。あるいは、襤褸(ぼろ)をまとって地上をさまよい、学者の難しい問いに答えてまわるのだともいわれる。さまざまな決まり事をちゃんと守り、彼を迎えるために扉を開け放していたか、覚えていない。けれどその牧場風(ランチスタイル)の家のオレンジ色の玄関扉だったか、あるいは裏庭に向いたガラスの引き戸の一枚だったかが、小さな谷間の春の夜気に向けて開け放たれている光景をはっきりと思い描くことができる。
普段、わたしたちは扉に鍵をかけて生活していた。とはいえ、郡でいちばん北に位置するこの土地では、通りをやってきそうなものといえば早朝のアスファルトにコツコツ足音を響かせるシカや、灌木に潜んだアライグマやスカンクといった野生動物くらいだった。開け放たれた扉、預言者、世の終わりといったことは普段とは違う、胸の騒ぐことだったと思う。その晩ワインがみせてくれた世界がどんなものだったかも、わたしは覚えていない。ひょっとしたら、頭上で交わされる会話に取り残されていることが心地よかったのかもしれない。あるいは、このほどほどのサイズの惑星の上で小さな体が不意に重力を感じる、その鮮やかな感触だったのかもしれない。
未知へ向けて扉を開け放つこと。暗闇への扉。いちばん大切なものはそこからやってくる。わたしたち自身もまたそこから来て、いつか出てゆく。三年前にロッキーの山中でワークショップを開いたとき、ある学生が、ソクラテス以前の哲学者メノンのものだという言葉を携えてきた。いわく「それがどんなものであるかまったく知らないものを、どうやって探求しようというのでしょうか」。そのときに書き留めて以来、この言葉はどこに行ってもわたしについてくる。
この学生は水中の泳者を捉えた半透明の大きな写真を制作し、天井から吊り下げて上から光を当てた。写真の間を歩くと泳者の影が自分の体に映っては消え、その場が水のなかに変わったような不思議な気がした。彼女の持ってきた問いは、人生における基本的な指針の問題としてわたしに響いた。わたしたちは変化の先にあるものは知らないか、あるいは知っていると思っているだけにもかかわらず、変容のきっかけを欲しがっている。愛、知恵、恩寵、霊感といったもの、いわば自我の境界を未知の領域へ押し広げ自分ではない誰かになってゆくような、そんなものをいったいどうやって探し求めるというのか。
いうまでもなく、あらゆる芸術家にとっては未知のもの、すなわちアイデアであれ、フォルムであれ、物語であれ、未だ到来していないものこそが探求の対象となる。扉を開いて、預言者を、つまり未知なるもの、見知らぬものを招来するのが芸術家の務めだ。それを我がものにするための長く厳しい過程の始まりに過ぎないとはいえ、彼らのわざはその扉から訪れる。科学者もまた。「いつでも〈不可思議の際(きわ)〉に、未知との境に生きよ」とロバート・オッペンハイマーは語った。しかし科学者が未知を既知へ、漁師が網を引き上げるように変えてゆく一方、芸術家はわたしたちを暗い海へと引きずりこむ。
エドガー・アラン・ポーが述べている。「哲学的探求のあらゆる経験が教えること、それは、その種の探求ではたいてい予期できぬ物事にもとづいて推算をせねばならないということだ」。ポーは「推算」という事実や計測の冷徹な計上を意味する言葉と、「予期できぬもの」という、計測も計上もできない、ただ到来を待つほかないものを意味する言葉をあえて並べている。では、どうやって予期できぬものにもとづいて計算するのか。それは、予め知ることのできないものの働きを認めること、思いがけぬ事態のなかで自分のバランスをたもつ術、偶然と手を携えること、あるいは、世界は本質的に謎を備えていて、それゆえに計算や計画や制御には限界があるということを理解することだろう。未知にもとづく計算という、矛盾と呼ぶほかない試みこそ、おそらくわたしたちが人生でもっとも求められることなのだ。
一八一七年の真冬、詩人ジョン・キーツは友人たちと語らいながら家路をたどっていた。その夜は後世にも記憶されるものとなる。「そうして、わたしの心のなかでいくつもの物事がぴたりと符合してはたと気がついた。偉大な達成、とりわけ文芸の偉業を成し遂げる人間をつくりだしてきた資質、……それは消極的能力(ネガティブ・ケイパビリティ)なのだ、つまり、いたずらに事実や合理を追い求めないで、不確実な状況や謎や疑いのうちにとどまっている能力なのだと」。この考え方は、「未詳の土地(テラ・インコグニタ)」と記された古地図の領域のように、さまざまな場面で繰り返し浮かび上がってくる。
「街で道がわからなくなるのは面白くもないありふれたことだろう。必要なのは無知であること、それだけだから」と、二十世紀の哲学者・随想家ヴァルター・ベンヤミンはいう。「しかし、街に迷うこと──ちょうど森で自らを見失うように──には、かなり別種の修練が求められる」。迷うこと。官能にみちた降伏。抱(いだ)かれて身を委ねること。世界のなかへ紛れてしまうこと。外側の世界がかすれて消えてしまうほどに、その場にすっかり沈み込んでしまうこと。ベンヤミンの言葉に倣えば、迷う、すなわち自らを見失うことはその場に余すところなくすっかり身を置くことであり、すっかり身を置くということは、すなわち不確実性や謎に留まっていられることだ。そして、人は迷ってしまうのではなく、自ら迷う、自らを見失う。それは意識的な選択、選ばれた降伏であって、地理が可能にするひとつの心の状態なのだ。
どんなものかまったくわからないもの。探さねばならないのはたいていそんなものだ。その探求は迷うことに通じている。「失われた」「迷った」〔lost〕という言葉は、古ノルド語で軍隊の解散を意味する言葉〔los〕に由来している。この由来は隊列を離れて故郷へ向かう兵士を、外との暫時の休戦を思わせる。わたしの気にかかるのは多くの人は自らの軍隊に解散を命じることがまったくない、つまり自らの知ることを越えて出ることがないのではないか、ということだ。広告、喧しいニュース、テクノロジー、休息を知らぬ忙(せわ)しさ。そうした状況に加担する公私の空間のデザイン。郊外で野生動物がふたたび姿をみせるようになった、という最近目にした記事には、雪の積もった裏庭に動物の足跡はいたるところに残るが、子どもが遊んだ跡はまったくないのだと書かれていた。動物たちからすれば、そうした郊外住宅地は放棄された土地であって気ままに闊歩できるというわけだ。
そしてきわめて安全な場所であっても子どもたちが自由に出歩くことはほとんどない。身の毛もよだつような事態が振りかかるのではないか、と両親が恐れるがゆえに(その不安はたしかに現実化することがあるが極めて稀だ)、子ども時代に何気なく経験してゆく輝くような体験は失われる。わたしの場合、子ども時代にあてもなく出歩いたことは独り立ちの助けになっていたと思う。方角の感覚を身につけ、冒険を知り、想像力を養い、探検への意志を育て、少しばかり道に迷った後で帰り道をみつけだせるようになった。そうした年代の子どもを家に閉じ込めていると、いったいどうなってしまうのだろう。
メノンの問いに出会ったロッキーの夏、学生たちと一緒に、わたしは初めて訪れた風景のなかを歩いた。ハコヤナギの白い幹の間に、膝ほどの高さに育ったやわらかい草木が、緑色をした羽根や、菱形や波形の模様のような葉を伸ばし、その茎が微風のなかで白と紫の波のように揺れていた。熊にとって大事な意味をもつ川へ小道はつづいていた。わたしたちの一行が戻ったとき、小道の起点によく焼けた褐色の肌をした女性が佇んでいた。十年前に少しだけ会ったことのある人だった。驚いたことに彼女はわたしに気がつき、わたしも彼女のことを思い出した。この再会で彼女と友人となったのは幸運だった。サリーは長らく山岳捜索救助隊に所属していて、その日、道の出発点にいたのも彼女のいつもの業務、つまり道に迷ったハイカーの捜索の一環だった。たいていは姿がみえなくなったあたりにひょっこり現れるのだという。無線を聞きながら、そんな迷子のパーティーが通りそうな道を見張っていたところに、わたしが現れたというわけだった。皺くちゃの布のように尾根と谷が入り組んでいるロッキーの一帯は、いとも簡単に迷ってしまう一方で、多くの谷底に道路が通っているのでそこまで歩いて脱出することもそれほど難しくない。山岳救助のボランティアである彼女たちにとっても救助活動は毎回が未知への旅だ。感謝でいっぱいの遭難者をみつけることもあれば死体を発見することもあり、すぐにみつかることもあれば、何週間もの集中捜索の末にようやくみつかることもあり、迷子がついにみつからず、迷宮入りになってしまうこともある。
その三年後にもう一度山にサリーを訪ねて、人が迷うことについて聞くことにした。わたしたちは大陸分水界〔北米大陸を縦断し太平洋、大西洋に水系を区分する分水嶺〕に沿って歩いた。高度一万二千フィートから登る、森林限界上の高山ツンドラをゆく縦走路だった。登るにつれて視界が全周に開け、つまみ縫いした縫い目みたいな山道のまわりに、青く切り立った山々の稜線をぐるりと縫いつけたような世界が広がった。大陸分水界という呼び名は、水が両側の大洋へ流れ下ってゆくさまを、大陸を縦断して走る山々の尾根を想像させ、それを起点に延びてゆく座標の軸を思わせる。それを肌身に感じるかはともかく、きわめて抽象的な意味で自分がどこにいるかを感じさせる。いつまでも高みを目指して歩いていたかったけれど、雲が大きくなって雷鳴が聞こえ、長々とした稲光がみえるようになり、サリーは引き返す決断をした。下山の道すがら、印象に残っている救助活動について尋ねてみたところ、そのひとつに落雷で命を落とした男性の話があった。この山中ではそれほど珍しくないとのことだった。だからこそわたしたちは山頂をあきらめて下りを急いでいたというわけだ。
次に語ってくれたのは迷子になった十一歳の男の子のことで、この子は命にもかかわる難病の変性疾患のために耳が聞こえず、視力も失いつつあった。カウンセラーが引率する遠足キャンプに参加して、ほかの子といっしょにかくれんぼをしていたところ、かくれるのが上手すぎたのか日が暮れてもみつけらず、ひとりで戻ってくることもなかった。要請が入り、捜索救助隊は暗闇のなかへ出動した。沼の多い一帯に向かいながら、サリーはこの凍えるような冷え込みで生きてみつからないことを恐れていた。くまなく捜索するうちに夜明けを迎え、ちょうど日が昇ろうというころ、笛の音に気がついた。音のする場所へ駆けつけてみると男の子が震えながらホイッスルを吹いていた。サリーは彼を抱き締めて、自分の着ていたものをあらかた脱いで男の子を包んだ。この子の判断はすべて正しかった。川の音にまぎれて引率者の耳には届かなかったけれど、彼は日が落ちるまでホイッスルを吹きつづけ、その後は倒木の間に丸くなって休み、夜明けとともにふたたびホイッスルを鳴らした。まぶしい笑顔をみせる男の子を前に、みつけたサリーは涙を止められなかった。
半数かそれ以上は怪我や立ち往生した人の救援だが、救助にあたる人びとはかねてから捜索の技術を培い、道迷いの研究を行なってきた。文字どおりの迷子について今日わかっていることは、単純には以下のようなことだ。迷子になる人は迷いそうなときに注意力を働かせておらず、帰り道がわからなくなった時点でどうすればいいのかわからなくなってしまうか、道がわからないこと自体を認めようとしない。天候やルートや経路沿いの目印、引き返したときみえるはずの景色、太陽や月や星からわかる方角、水の流れる向きや、そのほかのたくさんの野生の自然を読解可能なテキストへ変える手がかりがあり、それに関心を払う技術がある。遭難者の多くは、地球に書かれたそうした言語を読む術を知らないか、足を止めて読み取ろうとしない。加えて見知らぬ環境で緊張を解き、いたずらなパニックや苦痛を招かず、迷っている状態に自分を馴染ませるというまた別の技術がある。この能力はキーツのいう「不確実な状況や謎や疑いのうちにとどまっている」能力からそれほど隔たったものではないはずだ。(ピザの出前のように気安く救援を要請するようになった昨今では、携帯電話やGPSがこの能力の代用になりつつあるが、電波が届かない場所もまだ多い)。
ロッキーのこの辺りでは猟師が迷ってしまうことも多い。夫と経営する農場の、動物や家族の写真で囲まれたデスクに座ったサリーの友人ランドンがそう教えてくれた。猟師は獲物を追ってトレイルを離れることがよくあるからだ。たとえばあるシカ狩りの猟師が周囲を見渡した高みは、真反対の方角の山並みがまったく同じ形にみえるような場所だった。樹木の陰になって山並みの一部しかみえなかったので、この猟師は逆方向を目指して移動してしまった。次の尾根、その次の尾根が目指す場所に違いない、と自分にいい聞かせながら彼は丸一昼夜歩きつづけ、疲労困憊して体を冷やし、低体温症の幻覚による暑さから服を脱ぎ捨てながら歩いた。発見地点までの最後の数マイルは点々と捨てられた衣類を辿ることができたそうだ。子どもは迷うのが上手だとランドンはいう、「生き延びる秘訣は、自分が迷子だと知ることだから」。子どもは遠くまではぐれてしまわないし、夜になればその辺に身を寄せて丸くなっているし、自分が助けを必要としていると知っているのだと。
自然のなかで必要となる古来の知恵や本能に加えて、夫がもっている不思議な勘についてランドンは語った。それは彼女が身につけたナビゲーションや追跡やサバイバルの実際的な技術に劣らないものだという。あるとき冬山歩きをしていた医師が突然のホワイトアウトで道を見失ったが、ランドンの夫は言葉では説明できない直感に導かれてスノーモービルを運転して、まさに凍えた遭難者のいる場所まで辿りつくことができた。山道から離れ、雪に覆われた草地を横切った場所だった。農場の農夫のひとりがいうには、遭難者に呼びかけもせず雪の夜に静かに出動していった奇妙な捜索活動もあった。ランドンの夫は行くべき場所がわかっていたので呼びかける必要がなかったのだ。彼は岩棚のへりで足を止め、その下で立ち往生していたスキーヤーをみつけた。彼は遭難して川の流れを辿ろうとしていた。このテクニックはうまくゆくことも多いが、このときは連続する滝や急流に阻まれてしまったのだ。岩棚の下で進めなくなり、彼は膝までセーターにくるまっていた。濡れたセーターが凍りつき、ほとんど割るようにして脱がせなければならなかったという。
わたしが手ほどきを受けたアウトドアマンは、ちょっとした遠足であっても、いかなるときも雨具や水やその他の備えを携行すべきで、計画には変更はつきもの、天候について唯一確かなのは変化するということだと教えた。わたしが学んだスキルは特別なものではない。街や山やハイウェイで道がわからなくなったとき、あるいは自然のなかで迷ったときわたしは、未知との境に触れて研ぎ澄まされる感覚を味わう以上に深入りすることは決してしないような気がする。わたしが好きなのは進むべき進路を離れて、自分の知っている範囲から出てみること、地図と合致しないコンパスの針や、出会った人のてんでばらばらな指南を材料にして別の道をみつけ、おまけの何マイルかを帰ってくることだ。誰ひとり知る人のいない西部の町のモーテルでひとり過ごす夜、誰にも居場所を知られずに、壁にかけられた奇妙な絵や、花柄のベッドカバーやケーブルテレビに囲まれて、自分のバイオグラフィーを生きることから束の間の猶予をもらう、ベンヤミンに倣っていえば自分の居場所を知りつつ迷子になっている、そんな夜だ。歩いて頂きを越え、あるいは車でカーブを曲がりながら、ここはみたことのない場所だとひとり思うとき。自宅にいるときでも、何年ものあいだ心にも留めなかった建物のディテールや通りの眺めが、実はこの場所を知っていたことなどないのだ、と語りかけてくるとき。見失っていた近所の景色や墓地や生き物に気づかせ、慣れ親しんだものをふたたび見知らぬものに変えてゆくさまざまな物語。まわりのものすべてを拭い去ってしまうような会話。その日の気分や振る舞いのすべてに影響していたのだ、と後からふと気がつくような夢。そんな迷子の経験は、道をふたたびみつけるための、あるいは別の道をみつけだすための出発のように思える。でも迷い方はそれだけではない。
十九世紀のアメリカ人は、遭難者や死体を救助隊が捜索しなければならないようなひどい迷い方は滅多にしなかったようだ。道迷いの事例を調べてみたところ、スケジュールに追われることもなく、おかれた土地で生きる術を知り、歩き方を知り、天体や川の流れやいい伝えからまだ地図のない土地で進路を見出すことができた者にとって、一日や一週間くらい予定のコースを外れることはたいした事件ではなかった。「これまで森のなかで迷子になったことはない」と、ダニエル・ブーン〔十八~十九世紀の米国の開拓者・探検家〕は語っている。けれど「三日ほどよくわからなくなっていたことはある」。ブーンにとって、この区別は正当なものだ。なぜならその後で自分の居場所のわかるところへ戻ることができ、その間にすべきことも彼にはわかっていたから。
ルイス・クラーク探検隊においてサカジャウィアという名のショーショーニー族インディアンの女性が果たした役割は有名だが、その貢献の最たるものは道案内ではなく、進路を見失った一行に生き延びる術を教えたことだった。野草や言語の知識によって。あるいは先住民の一団と遭遇したときに、乳児を抱えた彼女の存在を通じて、一行の目的が戦いではないと伝えること、そしておそらく、すべてを自分の家、あるいは誰かの家のように受け容れた彼女の感受性によって。数多くの白人の偵察隊や猟師や探検家もまた、彼女と同じように、未知のものに囲まれながら我が家にいるようにくつろぐことができた。馴染むことのできない場所はあったにせよ、多くの場合は原野こそ彼ら自身が選んだ家だったからだ。
歴史家アーロン・ザックスは、わたしの疑問にこう答えている。「探検家が目指すのはいままで行ったことのない場所ですから、いつでも迷っているようなものです。彼らは自分たちの居場所が正確にわかるとは思っていませんでした。とはいえ多くの者は装備の運用に熟達していて、十分な精度で進路を把握していました。自分たちが生き延びることができ、進むべき道がみつかるだろうという楽観的な態度こそ、彼らのもっとも重要なスキルだったのではないかと思っています」。迷子とはおよそ精神の状態なのだ、いろいろな人と話してわたしはそう理解した。これは山奥で足を棒にすることだけでなく、あらゆる抽象的な、あるいは隠喩的な意味での道迷いにも同じことがいえるのではないか。
ならば、いったいどう迷えばいいのか。まったく迷わないのは生きているとはいえないし、迷い方を知らないでいるといつか身を滅ぼす。ゆたかな発見にみちた人生はその隙間に横たわる未詳の土地(テラ・インコグニタ)のどこかにあるはずだ。アーロン・ザックスは返信のなかにソローの一節を引いていた。ソローにとっては人生も原野も意味の世界も、そこで進むべき方角を見出すことはひとつのおなじ営みであり、綴られた言葉もなにげなくその間をうつろっている。「森で迷うことはいつでも驚きにあふれていて、忘れがたく、かけがえのない経験だ」と『ウォールデン』にある。「すっかり迷子になったりぐるりと回ってみたりして、というのはこの世界で迷子になるには目を閉じてその場でぐるぐる回るだけでよいからだが、そうしてはじめて、わたしたちは自然の広大さと不可思議さを知る。迷子になる、つまり世界の手掛かりを失って、はじめてわたしたちは自分自身を探しはじめる。そして自分がどこにいるかを理解し、自分をとりまく無限の関係性の広がりに気がつく」。ソローが触れているのは、魂を失って全世界を手に入れることは果たして得かどうか、という聖書的な問い掛けだ。全世界を見失うがよい、とソローはいう。そのなかに迷いながら自分の魂を見出すのだ、と。
「それがどんなものであるかまったく知らないものを、どうやって探求しようというのでしょうか」。メノンの問いを抱えて何年か過ぎ、八方塞がりになっていたころ、ぽつぽつと、物語を携えて訪れる友人がいた。彼らは、答えではないとしてもわたしの里程標や手掛かりをくれたような気がする。メイはなんの前触れもなく、厚手の紙に太いまるまるとした文字で書き写したヴァージニア・ウルフの長い一節を送ってきた。母にして妻であるひとりの女性が過ごす、ある一日のおわりを綴った一節。
ようやく、彼女は誰のことも心配しなくてよかった。彼女自身に、自分ひとりになれた。これこそが自分に必要だとつねづね思っていたこと、物思いにふけること。いや、なにかを思うことでさえない。静かに、ひとりでいること。あらゆる人びとも、することも、めざわりなもの、きらびやかなもの、にぎやかなものも霧のように消えた。そして、厳粛な気持ちで自分自身へ縮みこんで、他人にはみえない、楔形をした暗闇の芯になっていった。背を伸ばして座ったまま編み物をしながら、自分をそんなふうに感じていた。そして、この係累を振り払った自分というものは、どんな奇妙な冒険にも自在に飛び出していった。束の間、人生のあれこれがどこかへみえなくなり、経験が無限の可能性をもっていると思える瞬間。……その下には果てしなく深い、一面の暗闇が広がっている。でも、わたしたちはときどき水面に浮き上がる。それがわたしの姿としてみられるのだ。彼女には、その地平線が無限につづいているようにみえた。
この『灯台へ』の一節は、歩くことについて書かれたウルフの文章と響き合うものがあった。
晴れた夕方の四時から六時くらいに家から足を踏み出すとき、わたしたちは友人が知っているような自分を脱ぎ捨てて、洋々とした匿名のさまよい人の群れに加わる。自分の部屋で独り過ごしたあとでは、彼らのつくりあげる社会はとても心地いい。
……その一人ひとりの人生に、わたしたちはほんの少し身を浸すことができる。自分はただひとつの精神に縛りつけられているわけではない、二、三分の間であれば他人の心身に扮装していられるのだ、という幻想を抱くにはそれで充分だ。
ウルフにとって迷子になることは地理というよりはむしろアイデンティティや激しい欲望にかかわること、名を捨てて誰か別の人になりたい、あるいは自分自身を、他人の目に映る自分を思い出させる首枷を脱ぎ捨ててしまいたいという切実な願いにかかわることだった。自我が溶解するようなこの種の感覚は、異国や僻地に身をおいた旅行者にはおなじみではあるが、意識のわずかな揺らぎにも敏感だったウルフは、通りを歩くとき、あるいは肘掛け椅子で過ごす束の間の孤独にそれを感じ取っていた。彼女はロマン主義者ではなく性愛に迷い込むことをよしとはしなかった。つまり出番を待って何年も地中に潜んでいる、セミの幼虫のように隠れて眠っている本当の自分を愛する人が誘い出してくれる愛とか、他者に向けられた愛でありながら、他者の謎のうちに匿まわれた自分自身の謎に安住していたいという欲望でもある、そんな愛に迷うことではなく、ウルフの迷子はソローのような、ただひとりで迷うことだった。
友人のマルコムはなんの脈絡もなしに中北部カリフォルニアのウィントゥ族を話題にあげた。彼らは自分の体の部位を指すときに左右ではなく東西南北の方位をつかう。わたしはウィントゥの言葉づかいと、その背景にある文化の想像力に魅了された。自分はまわりの世界との関係によってのみ存在していて、山や太陽や空なしには自分もまた存在しない。「ウィントゥが川を遡るとき、丘は西に、川は東にあり、蚊が西の腕を刺した。帰り道、丘はやはり西にあるが、蚊に刺されて痒いのは東の腕だ」(ドロシー・リー)。そんな言葉の世界で自我が迷うことはありえない。すくなくとも原野で迷子になる現代人のように方角を見失い、来た道ばかりか地平線や光や星空といった自分をとりまくものとの関係まで忘れてしまうことはない。けれどウイントゥのような言葉に生きる者は、自分がつながるべき世界がなければ、たとえば現代の地下鉄やデパートメント・ストアのように世界から棚上げされた場所では迷子になってしまうかもしれない。ウィントゥにとって確かなのは揺るぎない世界のほうであって、自分はそこに寄り掛かる不確かな存在にすぎず、切り離されてしまえば無いも同然なのだ。
これほどはっきりとした場所と方角の感受性があるとはそれまで聞いたこともなかった。そしてこうした方向感覚を胚胎した言語は失われかけている。十年前、ウィントゥ語話者は六人から十人ほどだった。自分に左右があると思い込んでよいほど自分は自律した存在ではない、そんな自我を抱える言語を流暢に話すことができたのは、そのうちの六人だった。北ウィントゥ語に堪能だった最後の話者フローラ・ジョーンズは二〇〇三年に亡くなった。しかし、そう教えてくれたマット・ルートからのメールには、三人のウィントゥ族と近くのピットリバー族がひとり「古いウィントゥの俗語と発音の一部を受け継いでいる」とあった。マット自身も学習しながらこの言葉の蘇生を望み、人びとが「自分たちの言葉を通じて過去とつながっていくこと」を願っていた。「わたしたちウィントゥの世界観はほんとうに独特なものです。このユニークさはわたしたちが住んでいた場所と結んでいた親密な関係なしにはありえない。人びとがふたたび土地や文化や歴史とのつながりを回復してこそ、強制移住や虐殺の深い傷を癒やすことができると思っています。いま言語を失うことは、まさにそうした悲劇の繰り返しになってしまいます」。消滅に瀕する百のカリフォルニア先住民の言語に触れた最近の記事では、こう述べられている。
こうした言語の多様性は生態系の多様性に関係しているという見方もある。人びとは言葉を生態学的地位に適用するので、多様性に富むカリフォルニアの生態系は言語的多様性の土壌にもなってきたというわけだ。この仮説を裏付けるように、地図上で動植物種がゆたかな地域では言語の数も多い。
かつてウィントゥの人びとは知悉した領域にぴったりと馴染み、迷うこととは無縁の暮らしをおくっていた──そんな想像をしたくなるところだが、彼らの北側に住むピットリバー〔アチョマウイ〕族をみるとそうではなかったようだ。ある日のこと、わたしはパフォーマンスを見物しようと友人たちと都心の公園で待ち合わせたが人込みに紛れて会うことができず、なにげなく覗いた古本屋で一冊の古書をみつけた。そのなかに、スペイン系の無頼漢で人類学者にして作家であるジェイム・デ・アングロの文章があった。彼はいまから八十年前、長期にわたってこれらの部族と生活をともにしている。
ピットリバー族インディアンにみられる興味深い現象を紹介したい。それは、英語におきかえれば「さまよう」という意味の言葉で呼ばれている。たとえば、ある男のことを「彼はさまよっている」「あいつはさまよいはじめた」などという。精神的になんらかの負荷がかかって、住み慣れた環境が堪えられなくなるということのようである。そうなると彼はさまよいはじめる、つまり山野をあてもなく移動するようになる。友人や親類の宿営を点々としながら移動をつづけ、二、三日を越えて一所にとどまることはない。心痛や悲しみや憂いを顔に出すこともない。……男でも女でもさまよい人となれば人里には近寄ろうとせず、山頂や谷底などの寂しく人跡のない場所を移動しつづける。
こうしたさまよい人からそれほど遠くないところにウルフもいる。彼女もまた絶望に触れ、仏教者が無有──存在しなくなること──と呼ぶものを切望し、それに導かれるようにしてポケットいっぱいに小石を詰めて川底へ歩を進めた。そこには迷ってしまうことではなく、自らを失うための試行がある。
デ・アングロは、さまようことは死に至ることもあるし、希望や正気の喪失、あるいはさまざまな形の絶望へ至ることもあるとつづけている。さらに、さまよい人が向かう僻地にはまた別種の力がひそんでいることもあるという。「人が徐々に野の存在になってゆくと、ときとして何かがあちら側から様子を伺いにやってくる。そんな存在がさまよい人を気にいってしまうことがある。彼の寒さや苦しみのゆえではなく、ただ彼の姿が惹きつけてしまうのだ。そうなるとそのインディアンのさまよう日々は終わり、彼はシャーマンになる」。迷ってしまいたいと願うゆえに迷う。しかし、迷う者を引き寄せる場所には不思議なものがみつかる。「すべての白人男はさまよい人だ、と老人たちは語った」、そうデ・アングロの書籍の編者はつけくわえている。
そんなふうにして次々に降りかかる物語を浴びつづけていたころ、朗読をする機会があった。会場のバーは、サンフランシスコ半島の北面を削って埋め立てた数ブロック分の市街地の通りにあった。以前は海に面していたはずだ。大雨で結末を迎える話と海をモチーフにした短編を朗読して飲み物をとりにいくと、カウンターにいたキャロル──朗読に誘ってくれた人の妻──が隣のスツールを指して手招きしていた。いろいろあって夫妻の長年の隣人であるタトゥー・アーティストの話になった。何十年もずっとジャンキーだったその男は、しまいに手の注射痕から命にかかわる感染症にかかって病院に担ぎこまれた。医師はその腕を切らざるを得なかった。右腕、つまりそのタトゥー・アーティストの利き腕だった。ところが、死の淵をさまよう長い療養のあとで医師が告げたのは、薬物中毒も完治したという本人も驚きの宣告だった。彼は商売道具を切り取られて病院を放り出されたが、待っていたのはすっかり薬の抜けた、ゼロから始める生活だった。生み落とされたときのように、だしぬけに、抗えない力によって世界へ放り出されたのだ。利き腕に長々と彫られていた龍は、首から上を残してぽっかりと消えてしまっていた。
そのバーからわたしが車で送っている間、友人のスージーは目隠しをして天秤をもった正義の擬人像が本当に意味しているものについて話した。彼女は自分でタロットカードを描きながら一枚一枚の新たな意味を考えていた。古代の伝承に関する本をめくれば、正義の女神は冥府の入口に立って誰がそこを通るのか判じるのだと書いてある。そこを通ることは、苦痛と冒険と変身という向上への階梯を登るべく、自己の変容という報いを求めて試練の道のりを歩むべく選ばれることだと。そう思うと地獄行きの印象も変わる。その教えは、正義のはたらきは思っているよりもはるかに込み入った不可解なもので、世の終わりにすべての清算が行なわれるとしても、その訪れは期待よりもはるかに遠く、予見することなどほとんど不可能だということだ。そして安楽に留まっていることは落伍にもなりうるのだということだ。地獄へ落ちるべし、されど、落ちて留まることなく、反対側から出てくるべし。結局スージーは正義の絵柄として焚き火を囲むグループの絵を描いて、正義とは旅で互いに助けあうこと、と言った。また別の晩にスージーのパートナーのデヴィッドが教えてくれたのは、彼が会ったあるハワイの生物学者のことだった。その生物学者は新種をみつけるために熱帯雨林でわざと迷うのだという。鬱蒼とした葉叢と厚い雲の下ならばウィントゥの暮らす高原よりもずっと簡単にそれができるのだ。
デヴィッドはもう何年もハワイの熱帯雨林などで絶滅危惧種の写真撮影をつづけている。その写真のコレクションはスージーのタロットカードとどこかでつながっているような気がした。生物が消えるのはその生息地が消えるときだ。だからデヴィッドはどこでもない真っ黒な背景の前で撮影していた(これはときに厄介な環境で黒ベルベットの背景幕を設営する苦労を伴う)。そのため動物も植物も暗がりのなかにかしこまった肖像写真のように佇んでいる。その写真もまた、世界というひと山のカードから取り出されたタロットカードのようにそれぞれの物語を語ろうとしている。一枚一枚が世界に存在することについて語りかける、ひと組の可能性の束。そこからカードが一枚、また一枚と抜き捨てられてゆく。動植物は言葉でもある。剪定され飼い馴らされたわたしたちの英語でも、子どもが育つさまを「草のように」〔grow like weeds〕といい、何事もなく切り抜けることを「バラの香りをさせて」〔come out smelling like roses〕といい、市場には牛と熊がいて〔相場の強気、弱気のこと〕、政治には鷹と鳩がいる。動物と植物の世界もまた、タロットカードのように一枚ずつ、あるいは組み合わせを変えながら何度も繰り返し読むことができる。自然の組み合わせは、無限の変化をつづけながら自らの物語を語り、わたしたちの物語に彩りを加えてゆく。その自然をいったいどれだけ失おうとしているのか、わたしたちはその喪失の大きささえ知らない。
迷った=失われた(ロスト)という言葉には、本当は二つの本質的に異なる意味が潜んでいる。「何かを失う」といえば、知っているものがどこかへいってしまうということだが、「迷う=〔自分が〕失われる」というときには見知らぬものが顔を出している。モノや人は──ブレスレットとか友人とか鍵とか──視界や知識や所有をすりぬけて消えてしまう。それでも自分がいる場所はまだわかっている。失くしてしまったモノ、消えてしまったひとつのピースを除けばすべてよく知っているとおりだ。一方で、迷う=自分が失われるとき、世界は知っているよりも大きなものになっている。そしてどちらの場合も世界をコントロールする術は失われている。
手袋、傘、スパナ、本、友人、家、名前……そんなものを次々に手放しながら時を流れてゆく自分。まるで後ろを向いて列車に乗っているような光景だ。視線を前に向ければ、到達や実現や発見の瞬間が次々に訪れる。髪をなびかせる風といっしょにみたこともないものが飛び込んでくる。その波のように押し寄せる経験のなかでなにかが振り落とされ、ヘビの脱皮のように剥がれ落ちてゆく。いうまでもなく、過去を忘却することはすなわち喪失の感覚を失うこと、いまそこにはない豊かさの記憶を失い、現在を歩むための手がかりを失くすことだ。だから忘却ではなく手放す技法が肝要なのだ。すべてが剥がれ落ちたとき、手のなかには潤沢な喪失がある。
そうこうしてようやく、わたしはメノンに向きあうことができた。実はそれがヘラクレイトスの言葉のような格言か断片のひとつだと思い込んで、てっきりそんな本があるものと思っていた。メノンがプラトンの対話篇の題名だということを──仮に知っていたとすれば──忘れていたようだ。ソクラテスはメノンという名のソフィストと対決し、仕掛けにみちたプラトンの対話篇の多分に漏れず相手を圧倒する。歩いているときに、最初は宝石か花のようにみえたものが、何歩か近づくとつまらないものだったということがよくある。未だ明かされていないときに綺麗にみえるものがある。文脈なしに美文調の翻訳に出会っていたからかもしれないが、メノンの問いもそんなものに思えた。ソクラテスはこう応えている。
メノンよ、君のいおうとすることはわかる。だが、君がまさに始めようとしている議論がどんなに厄介なものか考えてみるがよい。いわく、知っているものも知らないものも人は探求できぬ。なぜといえば、もし知っているものであれば探求の必要はないし、知らぬものであれば、まさに探求すべきものを知らないのだから。
エリヤがいつか訪れるということが重要なのではない。いつの年も扉が闇に向けて開かれていることが重要なのだ。ユダヤ教の伝統は、答えよりも問いそのものが肝要な質問があると教える。この問いもそのひとつだ。水中の写真を制作した学生が問いかけたとき、この問いはわたしのなかで鐘の音のように宙にこだまして、次第に小さくなりながらも決して消えそうにはなかった。けれどソクラテスは──あるいはプラトンは──その反響を止めてしまおうとしているようだ。ここにあるのは、作品は作家が込めた意味を負っているのか、という多くの芸術作品と同じ疑問でもある。メノンの議論にはメノンやプラトンが込めた意味があるのか、それとも彼らが考えたよりも大きな意味を孕んでいるのか。というのは、結局のところわたしたちの本当の問題は、未知のものを知ることができるか、そこに到達できるのかではなく、どのようにそれを探しにゆくのか、どう旅すればいいのかということなのだから。
対話篇のほかの部分では、ソクラテスは論理的な、ときには数学的な議論によってメノンに反駁しやりこめる。しかしこの問いに関しては曖昧な、詩まで引用した論拠の薄い主張に逃れている。まず問いを退けるように応えたあと、ソクラテスはこうつづける。
そしてこういう者がある。その言葉が真実かどうか、注意して聞いてほしい。彼らによれば、人の魂は不滅であり、ひとたび終わることはあっても、つまり死んでも、ふたたび生まれ変わり、滅びるということはない。それゆえに人は常に神意にかなった生をおくるべきだ、と。
「古き罪の償いをペルセポネ〔冥府=ハデスの妻〕に受け容れられし人びとの魂は、九年目にして冥府から陽のもとへ送り返される。彼らこそ誉れ高き王、力強き人、知恵のある人となりて、のちの世に英霊と讃えられるべし」
魂が不滅であり、何度も生まれなおし、地上も冥界もすべての物事をみて、すべての知識をもっているのならば……あらゆる探求や学習はただ想起することにほかならない。
ソクラテスはいう。未知を知ることができるのはそれを思い出しているからだ。人は、未知と思えるものもすでに知っている。いわばこういうことだ。あなたはかつてこの場所にいた──そのときは別の誰かだったにすぎない、と。ここでは単に未知なるものの所在が、未知の誰かから未知の自分へ移動しているだけだ。謎だ、とメノンはいう。謎だ、まったく違う意味で、とソクラテスはいう。それだけが確かなこと、そしてそれがひとつの指針になりうるはずだ。
ここから先は、わたし自身が描いたいくつかの地図だ。
『迷うことについて』
著者:レベッカ・ソルニット
翻訳:東辻賢治郎
装幀:松田行正+杉本聖士
定価:本体2400円+税
四六判並製/236ページ
2019年5月30日
978-4-86528-234-4