2020年4月22日の『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』
パン屋、ミニスーパー店員、専業主婦、タクシー運転手、介護士、留学生、馬の調教師、葬儀社スタッフ……コロナ禍で働く60職種・77人の2020年4月の日記を集めた『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』。
このnoteでは、7/9から7/24まで毎日3名ずつの日記を、「#3ヶ月前のわたしたち」として本書より抜粋します。まだまだ続くコロナとの闘い、ぜひ記憶と照らし合わせてお読みください。
【コロナ年表】四月二二日(水)
修繕のため長崎港に停泊中のイタリア船籍のクルーズ船「コスタ・アトランチカ」号で乗員三四人の感染が判明。乗員の全員検査実施へ。
フリーゲーム「密です3D-密集団を解散せよ」が公開。小池都知事が九日の記者会見後に報道陣に「密です密です」と連呼したことがきっかけ。製作者は筑波大学を経てコーネル大学院で遠隔共同作業支援などを研究開発する大学院生。
純喫茶店員
❖ 僕のマリ/二七歳/東京都
文筆業をしながら老舗の純喫茶で働く。慣れない電話注文やテイクアウト対応に奮闘する。常連さん、同僚、音楽、お酒が心の支え。
四月二十二日 水曜日
七時起床。夜中に目が覚めてしまったので眠りが浅く、うつらうつらとする。このところは一人で店番をすることがあり、今日がまさにそうだ。朝寝坊は基本的にしないけれど、一人で店を開けるのは責任重大。不安と気楽が半々だ。開店作業中、iPhoneで好きな曲を大音量で流す。朝刊をホッチキスで留めていたら、カネコアヤノの「ごめんね」が流れた。鼻の奥がつんとした。アルバム「燦々」はどの曲も大好きだけど、この曲はいつなんどき聴いてもじんわり泣けてくる。一人でよかった、と目をこすった。
早く来て多めに仕込んでおいたのが当たって、午前中はなかなか忙しかった。客席はほぼ埋まり、常連の女性と小声で「密!」と言い合ってゲラゲラ笑った。みんなやさしくて、せかされることもなく、なんとか回した。消毒、換気、加湿、手洗い。神経を使うぶん疲れるがいたしかたない。テイクアウトの電話注文が相次ぎ、まだ慣れていないので少し慌てた。取りに来る逆算をして料理を作るのは初めてのこと。頭がこんがらがる。これが出るからこれを多めに仕込む、パンがこのくらい出るから発注は何本、あれ明日って何曜日だっけ……とずっと考え事をしていたら、包丁で指をざっくり切った。いや、なんなら爪もいってる。スパッと切れて、あ、と思った五秒後くらいに血がだらだら流れる。しかし、流血しても一人。とりあえず消毒して血が止まるのを待つが、深く切ったせいでなかなか止まらない。この時期に怪我なんて、と色んな心配が脳裏をよぎる。消毒液を沢山つけて絆創膏を貼り、ビニール手袋を付け手首のところを輪ゴムできつく縛った。念には念をと、さらにゴム手袋も嵌めて仕事を続けた。やりづらい。痛さはあとからやってきて泣きたくなった。昼過ぎからは先輩やマスター夫妻が来たので気が楽になる。好物のいちごジュースを飲み、しばし休憩。指が痛いのは誰にも言ってない。トイレでこっそり確認すると、血が固まって赤黒くなっていた。病院に行くか迷う。悩んだ末、耐える。午後も忙しくて、ちょっと笑顔が保てなかった。お客さんは途絶えない。自粛、我慢できないよね。
夕方に退勤して早めにお風呂に入り、発泡酒を空ける。まだ十九時だが今日はもう好きなことをすると決めた。iPadでネットウインドウショッピング。好きな古着屋さんの通販がささやかな楽しみ。「指が痛いんだ」と知人にこぼして慰めてもらう。「心配だ」と言われて、くさくさした心がすこし生きかえった。
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美容師
❖ 瀧澤友美子/三七歳/東京都
美容師歴一七年の中で初めて二週間以上の休業生活、自宅で資格試験の勉強とカット練習に励む。見た目が変われば気持ちも変わる。
四月二十二日水曜日
二週間以上の臨時休業、美容師歴十七年くらいの中で初めての生活。九年前にあった東日本大震災の時も思ったけど、私たちの仕事は、世の中が平和なうえで成り立っていると改めて思う。街から灯りが消えていた日々。またこんな気持ちになるとは思っていなかった。あの時と違うところは、今は人と人との接触を極力減らさなければいけないということ。休みの間は、外出自粛はもちろんのこと、今の状況になる前から取ろうと決めていた資格の勉強と自宅でのカット練習を中心に生活をすることにする。今日は映像カメラマンをしている夫が、今月初めての撮影に向かった。もともとイベント関係の仕事も多く、ほかの撮影もほとんどキャンセルが続いていた。帰ってきたら、感染予防のため、そのまますぐお風呂へ直行していた。
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漫画家
❖ ヤマシタトモコ/三九歳/東京都
もともと在宅仕事なのであまり変化なし。Twitterで情報発信のかたわら、Nintendo Switch「あつまれ どうぶつの森」をプレイ。
四月二二日(水)
平時と変わらず仕事。人混みが怖い夢を見る。差し出がましいかと迷ったすえ、十年以上お世話になっているフリーランスの美容師に、困窮したら今後数回のカット代を前払いという形で支援させてほしいと連絡する。月に二〜三日の貴重な外出はなくなったが仕事のペースも外に出ない度合いもまったく平時と変わらず、しかし常に動揺した状態で物語を考えなければならないことに強いストレスを感じていて(しかも現実に沿っていたはずの物語の世界が、急激に変容する現実からだんだん乖離していく。悲しい)、東日本大震災のとき病気で入院してしばらく連載を休めたのは幸運だったと思える。あのとき緊急病棟で隣のベッドにいた、看護師に「移植ももう何度目だから」と話しパソコンを叩き子供に電話してずっと騒がしかった女性、カーテン越しで顔も見なかったが今どうしているのだろうとぼんやり思う。悪い状況に慣れたくない思いと穏やかでいたい思いが矛盾して存在している。こと座流星群が流れるそうだが雲が出ている。
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(すべて『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』より抜粋)