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福知山の黒み/町田康

【第64話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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 一家を解散した次郞長は一人になり、京都に遊んだ。京都では感心する部分もあった。やはりなんだかんだ言って王城の地、千年の都。すべて優美で、すべてがなだらか。すべて湯豆腐のようにつるつるして胃に優しかった。
 だから次郞長も最初のうちは、「やっぱ、いいよね、京都」と思っていた。だがしばらく逗留するうちにある点について不満を抱くようになった。というのは、いい男があまりおらぬ、という一点である。
 マア、面がのっぺりした男はけっこういた。なかには役者みたようないい男もいた。だけど、その中味というか、人間性について次郞長は疑問を抱いた。というのは、なにかこう信用できぬと言うか、「口ではいいようなことを言うが肝の中は違う」みたいな感覚を次郞長は抱いていた。
 すべて千枚漬けのように薄っぺらいのだ。
 そして時は安政三年、この年の七月はハリスというアメリカ国のおっさんが下田に来て、ごねた年であった。そんな事は次郞長のような者には何の関係もなかったが、京には天皇さんがいらっしゃる関係上、庶民の噂話も国事に関係することが多く、世の中の外れ者、人間の屑であるヤクザの中にも、博奕の合間に汚らしく巻き鮨などを頬張りつつ、御政道向きのことを語る者があって、次郞長はそれを見て、アハハン、と思った。
〈ナニを偉そうに言いやがる、やくざが。片腹痛ぇやな。〉
 と思ったのである。てめぇもやくざじゃネーカ、と言われればその通り。しかしだからこそ次郞長はそう思った。
 いったい自分たちを何様だと思っているのか。
 次郞長はそう思っていた。やくざが一人前の口をきくんじゃネー。やくざはやくざらしくしろ。真面目に博奕をやれ。いったいお前になんの専門的知識があるというのだ。なにもネーじゃネーカ。ただおもしろおかしく、その日を暮らしているだけ。なのに市民の上に立つ侍と同じような口をきく。ふざけんじゃネー。次郞長は胸の内にそんな思いを抱いていたのである。
 そして更に次郞長がムカつくのは、なにかと物騒な昨今、三百年の泰平に慣れ、元亀天正の時代に持っていた闘争心や気概を次第に失い、官僚化した武士が、安価で手軽な武力としてヤクザ者を小者として抱える、なかには士分に取り立てられる親分もある、備える、という一事で、次郞長は、雇う方も雇う方、日頃、俺は侍だ、と威張っておりながら、いざとなると戦おうとしない臆病な振る舞いは見苦しいことこの上ないし、日頃は、名利名聞を敢えて遠ざける男稼業、みたいなことを吹聴しながら、そうして声がかかると、「これをきっかけに俺も侍になれるかも知れネー」と喜んでホイホイ行く方も行く方だと呆れた。
 なので、もし、自分にそんな声が掛かったら、
「やくざ者のわっしが市民の上に立つお侍になるなんて飛んでもネーことでござんす」
 と決め台詞を言って断ろうと思っていたが、乾分と別れて、ひとりで旅をしている次郞長にそうした声は一向に掛からず、次郞長はその点も不満であった。
「わっしを誰だと思ってるんデー。一部では海道一とまで言われてるンだで。声を掛けろよ。断るから」
 とおもしろくない次郞長であったのだ。
 だから次郞長は京を出て丹波へ向かった。といって当てもなく発った訳ではない。丹波の福知山に銀兵衛という親分が居り、その噂を聞き、ふと、「行ってみよう」と思ったのである。

 福知山は京の北方、山に囲まれた盆地である。丹波というと、人は丹波の黒豆を思い浮かべるのだろうか。そしてまた、京大坂市中の人間なれば、「丹波の篠山」という文言を思い浮かべ、非常な山奥のように感じるかもしれないが、丹波でも福知山は別、城郭もあり、マアマア栄えた城下町である。
 栄えるという事は貨幣が非常にコノ、流通するということで、ほんの僅かでも貨幣があると人は博奕をする。これはもうどうしようもないことで、例えば菊池寛に「勝負事」という短編があるが、これは代々の庄屋で千石からあった養家の身代をすべて壺皿に叩き込み、没落させてしまった男の話をその孫が語る、という話であるが、その結末には、人間が博奕に見せられる本質が抽出されて描かれて在る。
 という訳で、どんな貧乏な村の奴も博奕はする。ただしそこに親分・貸元と呼ばれる人は存在しない。なぜなら余計者を食わせるほどの金がそこにないからである。だけど福知山にはそれほどの金が回っていた。だから銀兵衛という親分が存在したのである。
 その銀兵衛がどれほどの男なのか、次郞長は知らなかった。
 そういう親分が居る、という事は聞いていたが具体的な情報がなかったのである。
 それによって旅をするヤクザは、その親分がどれほどの男か、という事について非常な興味を持つようになる。
 器量、貫禄はいったいどれほどのものか、行ってみて体感したくなるのである。そして、同じように一宿一飯の恩義を蒙るのだが、その一家での扱いが非常に良く、好い渡世場もあって稼がせて貰い、飯も旨いなど、万事に行き届いて居れば、「あー、この親分は立派な親分だ」と評価するが、あべこべに、吝嗇で、飯も不味く、腐った布団で寝かされ、出立時、親分から渡す事になっている草鞋銭も十文とかしか呉れず、となると、「ナンデイ、大したことネー」と嘲笑う。
 つまり自分が秤となって、その親分の器量貫禄を計測するわけだが、ヤクザに限らず人間はこうした、自分の感受性、単なる好き嫌いで他人や他人の成果物を計測・計量する事に愉快を感じる。インターネットに得意顔で、見当違いの寸評を得意顔で書き、まるで自分がいっぱしの評論家になったような錯覚に陥る人が多いのはその為である。ばほほ。
 それと云うのは人間の残念な性分であるが、次郞長はもっと調子のいいことを考えていた。
〈その親分が素敵な男性だったら恋とかしたいな。〉
 なんてなことを夢想していたのである。

 前にも言ったことがあると思うが、ヤクザというものは足が速い。
 アッと言う間に福知山に着いて、次郞長は銀兵衛の家の前に立った。家は街道に面していた。なんだか全体的に木口が黒いような、そんでもって軒の瓦も黒いから、全体的に黒い印象の、二階建ちのしもうた屋である。
 左右を見ればどの家もそんな感じの家である。
〈この黒みが丹波流の建築なのか。ちょっと離れただけで京都はおおちげえよ。やはり黒豆を意識しているのか。〉
〈しかし銀兵衛さんのところは中でも一際黒い。それは男の黒みよ、玄(くろ)み。〉
〈それには深みがある。まるで藍がどんどん濃くなっていって果ての黒、みてーな。〉
〈そして藍とは、あい、そうよ、愛よ。〉
 次郞長はそんな事を考えながら表からうちらへ向かって声を掛けた。
「御免下さいやし。こちら福知山の銀兵衛さんのお宅でございやしょうか」
 その次郞長の声が心なしか弾んでいる。続く。

町田康(まちだ・こう)
1962年生まれ。81年から歌手として活動、96年以降は小説家としても活動。主な著書に「告白」「ギケイキ」などがある。


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