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次郎長はなにかあっても久六を応援する/町田康

【第58話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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 安政二年十一月、八尾ヶ嶽宗七改め保下田の久六より次郞長の許に手紙が届いた。急ぎ封を切ると、

 お元気ですか。実は一の宮の太左衛門とまた喧嘩になりました。現段階では向こうの方が人数が多いです。此の儘では負けてしまいます。それはとても嫌なことなので、至急、応援しに来てください。ではまた。
                          保下田村 久六拝

 長五郎様玉机下

 と書いてある。次郞長はこれを鼻に押し当てた。大政が来て言った。
「親分、手紙は久六さんからでしょう」
「そうだよ、よくわかったな」
「わかりますよ。で、なんて書いてありました」
「一の宮の太左衛門と喧嘩になったから助けに来いとよ」
「なるほど。で、どうなさいます」
「行くに決まってるだろう」
 という訳で、相撲常、大野の鶴吉、力蔵を初め、十七人を引き連れて、東海道を西に向かった。
「いやさ、久六のこととなると親分は目の色が変わりますな」
「ほんまですなー」
 そんな事を言いながら、三度笠を被り、道中合羽を着、長脇差を差した十七人が東海道を下っていく。
 と言うと、ノンビリした道中のように聞こえるが、そんなことはなく、というのは、ヤクザが道中する場合、兎に角、足が速く、普通の人からするとそれはもう走っているのではないか、と思われるくらいの速度で歩いた。
 なんでかと言うと、賭博や傷害、殺人といった犯罪を常に犯しているヤクザが、捕まらないで暮らしていられるのは自分の縄張り内に居るからで、一歩、縄張り外に出れば何時捕まるかわからないので、縄張り外に居る時間を極力短くしたかったからである。
 或いはまた、別に役人に追われていなくとも、敵対する勢力の襲撃に備えなければならなかったし、ヤクザが旅をする場合は、兎に角急いで、安全圏、すなわち、どこか有力な親分の家に辿り着き、仁義を切って庇護して貰う。その為にヤクザは急いで歩いたのであった。
 当然、次郞長一家とて例外ではない。
 時折は小声で右に言ったような話はしたかもしれないが、キホン無言で、ザツザッザッ、と歩いたのである。だから道行く人は、
「あー、清水一家の衆が行くぞ」
 と目を瞠ってこれをうち眺め、
「かっこいいなー」
 など言って憧れたのである。

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