山本文緒さん
亡くなられた。
山本文緒さんが。
ちょっと今でも信じられない。
私がそれを知ったのは、
大学の図書館で、
明日のゼミ発表の資料づくり終わんねーーーやべーーー
などと(内心)喚いてるときで、
現実逃避にTwitterを開いた時で、
「お”ん?トレンドに山本文緒さんが上がってるぞ??」
と思って、
カキっと「山本文緒」をクリックしたときだった。
パッと出てきたのは、
「山本文緒さんが亡くなりました」
とかいうことを簡潔に伝える文字たちで、
「は???????????????」
と思った。
だって私、
山本さんのインスタもTwitterもフォローしてるんだよ。
この前まで更新されてたじゃん。
新作の宣伝してたじゃん。
あれ?最後に更新されたのいつだったんだろう。
あれ?あれ?ほんとうになくなっちゃったの?
山本さん、もう、この世にはいないの?
そっからはもう、フリーズするしかなかった。
結婚して、本書いて、離婚して、再婚して、直木賞取って、鬱になって、治って、また書き始めて、なんとか賞取って、死んじゃった。
人が死ぬのって、こんなにあっけないのか。
山本文緒さんでさえ、いってしまうのか。
私はなんていうか甘ったれで、
まだ身近に死んでしまった人がいない。
死んで、いなくなるということ。
まだ、よくわかっていないのかもしれない。
ただ、もういない、という空虚感でいっぱいになる。
いなくなっても、残るものがあることは、
すごくいいし、うれしいことだと思う。
どんなにかなしくても。
だから、「あるもの」たちを
大事にいつくしんで、忘れないようにして、
「いなくなったひと」を想っていたい。
山本さんが生きているうちに、
山本さんの本に出会えてよかったなぁ。
「愛憎のイナズマ」に出会えてよかったなぁ。
直木賞受賞エッセイ集成が図書館にあってよかったなぁ。
山本さんが
存在していてくれて
よかったなぁ。
昨日、大学の図書館にも
「自転しながら公転する」が入ったんですよ。
いちばんに借りてこられました。
読みたい物語があって、
それが手元にある、っていう高揚感を、
いっぱいに抱きしめて、
本を読もうと思います。
山本文緒さん。
きっとこれからも、いっぱい先生の書いた本を読みます。
向こうでも山本さんらしく、過ごしていてください!
過去形にはしたくないから。
ずっとずっと、
ありがとうございます!!!!