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2.傷と呼べるようなもの

父は県立高校の体育教師だった。
父が指導する高校のソフトボール部はいわゆる偏差値の高い県立高校であり、県内でも1、2を争う強いチームだった。
なぜだかわたしは小学校の時、父が監督する部活の試合によく付いて行った。なぜあんなに頻繁に見に行っていたのかはもう覚えていない。(試合会場だった河原の脇に生えている数珠玉をよく採取していたことは覚えている笑)

小学生のわたしから見たチャラチャラしていない高校生のお姉さんたちは素敵だった。
シャキシャキと動き、華麗にボールを投げ、走り、スライディングをしている姿がカッコよかった。美しかった。しかも試合で勝ちまくっている。なんて素敵なんだ!あぁ、これぞスポ根の美しさ!

当時わたしは「エースをねらえ!」「アタックNo.1」が大好きな小学生だった。
子供会のドッチボールに燃えていた小学生のわたしは、練習中頻繁にチームのみんなを集め、輪になってもらい、「みんな、このボールに集中して!市子連にみんなで行くんだよ!」と小学生相手に気合いを入れていた場面を今でも覚えている。
漫画の主人公になりきってその気になっている自分、おやつはハチミツで漬けたレモンをどこか無理して食べているその自分を今見ると、恥ずかしいどころか、あぁ、なんて可愛いんだーーーーー!たまらなく可愛くて泣けてくるーーーーー!
△市子連=相模原市子供会連合

元々の気質として、さゆりさんってそうゆう「スポ根」とか「鍛錬」などが持つ雰囲気に惹かれる特徴を持った個体なんでしょうね。

話を戻します。

そしてそのかっこいいお姉さんたちは、
父が発する言葉に「はいっ!」と爽やかにキラキラした目をして返事をしている。父がやたらとかっこよく見えた。立派に見えた。宗方コーチに見えた笑

家で酒を飲んで、調子に乗ってペラペラ喋ってだらしない感じじゃない姿がこども心に嬉しかったのだと思う。(「調子に乗って、ペラペラ喋ってる」=「だらしない」が当たり前のようにくっついているのが笑える。まさに自分が自分に自動的に掛けていた呪いw)

そんなわたしは中学校に上がると当たり前のようにソフトボール部に入部した。
「芦沢先生の娘」と教師たちにもことあるごとに言われた。視線がしんどかった。
ほとんどの中学生がそうであるように、自意識マックス花盛りのさゆりちゃんはそれはそれは大変だったと思う。人の目が常に気になり、無駄にプライドが高く、お腹が弱かった。早く高校に行きたかった。父がいる強いチームに入りたかった。早くひろみになりたかった。(エースをねらえ!の主人公)

そして、無事父がいる高校に入学し、憧れだったソフトボール部に入った。

父は生徒たちに人気のある先生だと知り、とても誇らしかったのを覚えている。どことなくカリスマ性があり、ついていきたくなる雰囲気を感じる先生だった。口数は少なく多くを語らないが、言葉やその佇まい、目線に不思議な力があった。
父が教室に、体育館に、グランドにいるだけでなんとなくその場が締まった。

「アッシー(父)をインターハイに連れていく」と言うのが部員全員の夢であり、部員全員のモチベーションだった。

部活以外の、たとえば勉強の成績も常に父の視線が気になっていたし、父の機嫌や父からの評価を気にしていたと思う。

がっかりされたくない。自慢の娘でいたい。
そんなプレッシャーが常にあった。

そんな父に
「さゆりはすぐに調子に乗る」
「さゆりはすぐに手を抜く」
そう言われていたことがぶっとい釘のように、長年しっかりと刺さっていた。(言われていた、と書くくらい。そう強く信じていた。もしかしたら1回しか言われていないのかもしれない笑 もしくは、誰かからの伝言だったような気もする笑)

わたしは、調子に乗ってはいけない。

わたしは、軽くてはいけない。

こうしてわたしの人生に大きな複雑化したねじれが生まれた。(もちろん、この時に全てが始まったわけではなく、もっと前の先祖から引き継いでいたものもあると思う。)

これらはわたしの無意識下の傷となり、無意識下のかなり強固な思い込みになっていた。

ある日、その思い込みを持っていた自分をぐわぁーーっと離れた場所から見る機会が訪れた。

え…。ちょっと待って。なんかすんごいものを今まで見落としていた気がする。あまりに透明過ぎて当たり前だと疑ってもいなかったこと。

その自分を見た時、言葉通り、唖然とした。

あぁ、どうしよう…なんてこった…。
奥底から力がグワっと抜けた。ヘナヘナした。

さゆりさんは、自らやっていたとはいえ、これまでなんてしんどい道を歩いてきたんだ。いやぁ、あなた、よくそんなものを抱えて、病気にもならず、死なずに、腐らずに、ここまで生きてきたねぇ。

わたしはわたしへの労いの気持ちが湧き上がって止まらなかった。涙が溢れてしばらく止まらなかった。


今となっては、同時に、その傷を越えることができるという大きなギフトでもあったんだと分かる。

心を燃やしていた部活の顧問であり、高校時代の教師である父。わたしもだけど、父もきっとすんげー大変だったろうと思う笑
今思うとよくぞこの環境に身を置いたなぁと思うし、そして宇宙はよくぞこの環境にわたしを置いてくれたなぁと思う。

でもこのねじれは越えていけるから、そこにある。ねじれあってこその、この人生。

そのねじれと反対側でぴったり呼応するように
「気軽さ」「気楽さ」「自由」がテーマになる人生を生きている。

わたしが「annon-me」サロンを作ろうと思ったきっかけになるテーマはこの複雑なねじれがあったからともいえると思うと、どうしたって、感謝みたいなものが湧き上がってきてしまう。

あぁ、人生って何一つ無駄がない。
何も捨てられないし、何も無くならない。

その材料を使って新しく創っていくだけなんだなぁ、といま、しみじみしながら書いています。

(続く)

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