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日本人なのに日本に戻らないもう一つの理由

私は日本人でありながら、アメリカで暮らしています。「いつかは日本に戻るんだろうな」と漠然と思いながら、気づけば27年が経ちました。ボストン、ニューヨーク、サンフランシスコと移り住み、今は家族とともにオランダ移住を計画しています。

子供たちの未来を考えてオランダへ!そんな前向きな理由の裏で、私にはもう一つの理由があります。

帰る場所が、もうありません。


直系の家族が、みんな他界してしまいました。

2000年、母他界
2010年、東日本大震災で実家が流される
2021年、父他界
2023年、兄他界。そして、遺産放棄により実家は完全になくなる


私は4歳の時から母子家庭でした。親の都合で離婚し、生活は苦しかったです。母は病気がちだったので、家を出るという選択肢は私にはありませんでした。

それでも、たまに電話をくれたり、お小遣いをくれたり、数年に一度は会いに来てくれる父がいました。幼い私は、父が会いに来てくれるのが嬉しかったのを覚えています。

祖父が他界し、祖母を一人にしておくのは心配だったため、高校を卒業するタイミングで、母と私で祖母の家に一緒に暮らし始めました。そして、この出来事は、私だけでなく祖母も病弱の母のそばにいてあげれるという安心感が生まれ、父のサポートで留学を決意しました。

私が幼い時、母は昼も夜も働き、私と兄を養ってくれました。私はいつか母を楽にさせてあげたいと思っていましたが、その願いは叶いませんでした。ボストン留学中、母は急死してしまいました。帰りの飛行機の中で、涙が止まらなかったのを覚えています。

兄は、母に負担をかけたくないと父の元へ行きましたが、継母やその連れ子とうまくいかず、結局母と私のもとに戻ってきました。でも、その頃にはもう荒れてしまっていて、ほとんど家に帰らず、学校にも行きませんでした。「母子家庭だからぐれたんだ」と周囲に言われることもあり、母は責任を感じ、夜泣いていました。

それでも兄は、私にとって頼れる兄であり、父のような存在でもありました。まだ子供だったのに、バイト代からお小遣いをくれたり、「大丈夫か?」と何度も連絡をくれたりしました。

そんな兄も20歳で子供ができ、家を出ていきました。悲しかったです。
大学進学の時は、兄が父に頼んで、学費を用意してくれました。


父という存在

私にとって、父は足長おじさんのような人でした。幼少期に一緒に暮らした記憶はほとんどありません。困った時にお金をくれる便利なおじさん、そんな風に思っていました。

心の奥では、「母の苦労は父のせいだ」とどこかで思い込んでいたのかもしれません。でも、父が亡くなったとき、兄が教えてくれました。「お前の写真、親父のテーブルにずっと置いてあったぞ。」離れていても、愛されていたのかもしれません。


すべてを失った日

母が亡くなって11年後、東日本大震災が起こりました。祖母と母と私の三人で暮らした家は、すべて流されてしまいました。幸い、祖母は内陸の老人ホームに移っていたため、無事でした。

それからの帰国は、父と兄がいる場所に帰ることでした。兄は20年連れ添った奥さんと別れ、父と二世帯住宅で暮らしていました。二人で小さな会社を経営し、私は夫と子供たちを連れて帰省し、生まれ育った場所ではないけれど、家族がいる場所としてそこに帰っていました。

兄とは一緒に旅行したり、兄の息子と飲みに行ったりするようになりました。母はもういませんでしたが、いつの間にか、私たちは仲の良い家族になっていました。


コロナ、そして父の死

コロナが始まり、帰国できなくなりました。会社を経営する実家に、アメリカ帰りの私が行くのは申し訳ない気がしたし、まだ1歳と4歳の子供を連れての飛行機移動に自信がありませんでした。そんな中、兄からLINEが届きました。

「親父の具合が悪いから、今から入院することになった。」

それから30分後。

「やばい!親父死んじゃうかも。」

そのまま、父は帰らぬ人となりました。心不全、腎不全、一気に病状が進んだそうです。またしても、両親の死に際に間に合いませんでした。


兄の死、そして私の決意

コロナが終わり、やっと帰国できました。兄の家族と一緒に石垣島に旅行にも行きました。子供たちは兄のことが大好きで、とても懐いていました。でも、兄は会社の経営がうまくいかないことを嘆いていました。心の病に苦しみ、そして兄も逝ってしまいました。

気づけば、私はひとりぼっちになりました。

でも、私には新しい家族がいます。自分が築いた、命を繋ぐ家族がいます。


オランダへ

命があれば、どうにでもなります。

私は、子供たちに伝えたいです。
本当の幸せとは何か。
命の大切さとは何か。
お金や優越感だけが人生ではないということ。

だからこそ、私は子供たちにいろんな経験と選択肢を与えたいです。
それが、親としての私の役目だと思っています。

オランダ移住は、そのための新しいスタートです。

私は、前を向いて生きていきます。

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