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2021年地獄の旅 第2話 「ER」

ERとはEmergency Roomの略で救急外来という意味である。

娘達が小さかった頃、ハリケーンが上陸・通過し停電となりそんな中娘達が次々と熱を出した事があった。上と下のどちらが先だったか忘れたけど、連続2日で1人ずつBaptist HospitalのERへ連れて行った。日没後の外出禁止令が出る中、道路を曲がるたびにパトカーに止められその中の1台が先導してくれて大病院のERに着いた。明かりという明かりが消え真っ暗闇の街の中で緊急時の自家発電で最低限の電力を維持する病院だけがボンヤリと遠くからでも確認できた。そして明かりに群がる蛾のように駐車場は大混雑しており、あちこちから空輸で患者を搬送してくるヘリコプターは屋上のヘリポートでは間に合わず駐車場の一角にも臨時に緊急着陸してさながら野戦病院のようであった。
1日目の待ち時間は12時間、2日目は8時間。
ERの待ち時間としては最長記録だった。

その記憶があったので、そして家から5分という便利さから10月30日の夕方に向かう事にしたERはKendall Regional  Hospitalの救急専門のセンターだった。
ここにはコロナのロックダウン解除直後に行ったことがあるのだが待ち時間はほとんどなくとてもお手軽であった。

入り口の自動ドアを抜け右側のカウンターで1週間ほど頭痛が続いている事ともう我慢出来ない痛さである事を伝えた。
すぐにナースがやってきて部屋に連れて行かれて、通常ルーティンの体温・血圧を測定。
いつも低血圧の私にしてはとても高く感じる130/80くらいだったと思う。問診で「今までの人生で1番痛い。絶対に週末乗り切れない」と訴えるものの、自分で運転してスタスタ歩いて入ってきた私はナメられていた。嘔吐したかと聞かれたのでしてないと言うと、ナースは「君は大丈夫だよ。痛み止めはあげるから家で飲んで週明けにまだ痛かったら自分のかかりつけに相談したらいい」と言う。

こういう時にこれだけテクノロジーが発達しても人の痛みというものを具体的客観的に色や数値で叩き出す装置が無いのはとても残念に思う。私はケロッとしてるように見えても自分で頭を引きちぎって床に叩きつけたいくらいの激痛に襲われていた。だからわざわざ週明けまで待たずにERに来たのだしもっとよく効く薬を処方して貰えるだろうから痛み止めも昼頃から飲まずに我慢していた。そんな状況であるのに医者に行くと必ず聞かれる「痛みのスケール、1から10だとどのくらい?」という自己申告制度はとても不条理に思えてちょっと腹が立ってきた。同じ痛み度レベル9でも「無痛分娩?多分要らんね、私無しでもイケると思うわ」と陣痛が始まる寸前まで豪語していた私と、携帯の角が頬に当たっただけでオイオイ泣くうちのアシスタントを同系列の同じ位置に並べて良いのだろうか。

「吐かないとダメ?だったらここで吐こうか?私が家に帰って週末を過ごしても安全だという医学的証明がほしくてわざわざ来たんだけど?」
救急ではオーバーリアクションで、の鉄則もあったけど本当にイラッときてた私はセンテンスの語尾を上げて画像診断を迫った。ナースはもう1人のボスっぽい人に相談に行き「必要ないと思うけどね」と言いつつCTの技師を呼びに行った。

このゴリ押しがあったおかげで私は今こうやってあの日の事を思い出すことが出来ている。
この時点で私は三途の川のこちら側に足を踏み入れザブザブと向こう側へ歩き始めた頃だったのだ。

無事にCT撮ってもらいホッとしてるところへナースが慌ててやってきた。
画像に影が見えるのでもう既に救急車を呼んだ、ここでの対応は無理なので到着次第本院の総合病院に搬送する、と言う。

え?え?ちょっと待って。何がどうなってるの?

画像にも異常はないけど痛み止めは出しておくから、と言う言葉を聞いて安心してよく効く薬を取りに薬局に行ってから帰るという私の計画は木端微塵になった。別のナースが来て急いで私にEKGやらモニタリングのコードを繋げ始め、もう1人は点滴用のバタフライを私の腕に刺した。そして救急車待ちの間に血液も何本か抜かれレントゲンまで撮られた。さっきまでの「帰って良いよ〜」は一体何だったのか。ナースステーションの真ん前の部屋にいた私には本院に慌てて連絡入れてる人の声がよく聞こえた。私はどうやらこれから本院でneurosurgeron/脳神経外科医の手に託されるらしい。

マジですか、、、、

私は愕然とした。
真っ先に頭に浮かんだのは「娘らの晩御飯どうしよう」という事だった。
この話をした時に母親とはどうしようもない生き物だと後でお客さんから言われたけど、相方不在の中で私の1番の心配はその日の娘らの晩御飯だった。早速家で留守番してる娘にメッセして遅くなるからPostmateかUberEatsで何か夕ご飯を調達するように伝えると秒で返信が来た。

But mommy, I have no money 

ハァァァァとため息ついてから救急車を待つ間にラテンナースからアドバイス貰い家の近所のラテン飯を家へUberEatsした。そのあとパンデミックが始まってから遠隔になったという会計担当の人と渡されたタブレットでビデオチャットしながら自分の免許証と保険証をそのタブレットでスキャンし個人情報を打ち込んでたら救急車が到着した。

生まれて初めて乗った救急車はちょっと古めのものでTokyo MERのファンだった私はさすがにアレは救急車とは違うだろうと思いつつもガッカリした。
ドライバーが1人、パラメディックが1人。
分院から本院までは車で20分くらい。それを信号通る度にサイレン鳴らして突っ切るからあっという間に着いた。本院の救急の入口には数台の救急車が既に横付けしており「どこに停めようか」「入口から離れた駐車場のあのスペースに停めて」という会話からこの人達はフリーランスの救急隊なんだろうなと勝手に推測した。救急車によってナワバリのようなものがあるに違いない。きっとカウンティの救急車や大手の救急車は横付けできてペーペーのフリーランスは横付けできないしきたりでもあるんだろう。全然違うかもしれないけど。ガーーンと横付けしたかったな。

ストレッチャーの上に寝たままの私はそのままガラガラと中に運ばれ病院スタッフに引き継がれ個室に放り込まれた。
ERとの連携がものすごく取れているのか恐ろしくテキトーなのか保険証の提示もIDチェックも無い。私が私じゃない別人だったらどうするんだろう。

直ぐに注射で薬が投入され、さらに巨大なロケットエンジンみたいな錠剤も2つ飲まされた。

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参照: ロケットエンジンブースターのチロルチョコ比

写真は後に撮ったものだけど、てんかん防止の薬だそうだ。

コレは本当に飲みづらい大きさだった。。
主語を大きくしてはダメなのだけどアメリカの錠剤は喉のキャパを超えたものが多すぎる。患者ファーストの精神は無く製薬会社ファーストと言って良い。

1週間の家での市販の薬漬けのあと病院のプロ仕様の薬漬けが始まった。そういえば娘の夕ご飯の心配はしたけど自分の夕ご飯の心配はまだだった。空きっ腹にロケットエンジン2錠ぶっ込んで胃は大丈夫なんだろうか。

そんな心配をしつつ何時頃家に帰れるのだろうとナースに質問してみた。

「ハァ??最低2、3日は帰れないわよ、知らんけど」
「え??そうなの?なんで?」
「脳の2箇所から出血してるのよアナタ」
「ハァァァァ?????」
「それよりMRI行くわよ今から」

この時すでに夜の10時をまわっていたと思う。

ERからその時まで「CTに映った影」が「脳の2箇所からの出血」であるとは知らなんだ。
バタバタしてたし、その合間に娘らに「ラテン飯美味かった?」という確認や、隔離終了前の相方への「頭痛くてER行ったら救急車で搬送された」一報や、職場のボスへの「病院来てるけどもしかしたら週明け火曜日くらいは休むかも」という布石メッセやら大忙しだったけど知らなんだ。
影が何かを確認するためにここに搬送されたと思ってて知らなんだ。
コレって最も患者に伝えなければいけないと思うんだけど知らなんだ。

そういえばランチ食べてから何も食べて無い。また思い出し一層腹が減ってきた。
そういえばたとえ数日の滞在だとしてもPCR検査しなくて良いのだろうか。
ナースに聞くと「あとであとで!とりあえずMRI!」と言われた。


前回入院したのはBaptist Hospitalで25年前。その時もこんな感じだっけ?頭も痛いし思い出せない。

まあこんなものなんだろうかと首を傾げる間にも周りはとても慌ただしく、長い1日の終わりを閉所恐怖症の私はMRIの中でじっと耐える事になったのであった。

(続く)


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