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長崎県南島原市 有馬川殉教地と有家セミナリヨ跡

有馬川殉教地

島原のキリシタン大名・有馬晴信は岡本大八事件で失脚し山梨に流されます。晴信は家臣たちにも信仰を捨てないように伝えていましたが、引き継いだ嫡男の直純は棄教。家臣にも棄教させようとしますが3人だけは決して承知しませんでした。棄教を拒んだ家臣とその家族8名が見せしめで火炙りにされました。処刑当日、島原の信者たち2万人が晴れ着と蝋燭をもって集まり、この出来事で棄教していた人まで立ち返ったといいます。

周辺の、のどかな景色

有家セミナリヨ跡

はじめ有馬と安土につくられたセミナリヨでしたが、伴天連追放令のため転々としました。ここ有家に移転したのは1595年で、そのあとすぐまた長崎へ移転したようです。現在はキリシタン墓碑が置いてあって、とくに神学校の何かが残っているわけではないですが。道路沿いにあります

綺麗な墓碑

花十字紋入りのキリシタン墓碑。4基のうち2つは明治に発見されたそうです。
「キリシタン墓碑の持つ意味は、16・17世紀の昔、ここに住む人々がキリスト教を信仰し、教えを通して西洋文化を摂収し、それとのかかわりの中で生活していた人々の、存在の証しである。」島原にはキリシタン墓碑がたくさんあります。

セミナリヨ跡の近くにあった墓跡?なんだろう?


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